団長日記
『インタレスト』38号、校正中。
いつの間に1カ月経ったんや! と一応驚いてみたが、年末までに上げる予定で頑張っている大物2本と中物5本のうち、大物1本(インタレスト38号)と中物2本がほぼ終わって、今、残りのうちの中物1本に苦闘中である。
というわけで、大物の1本の『インタレスト』38号は今、24ページ中22ページがデザインから上がってきて、鋭意校正中である。校正作業は、まず私が目を皿のようにして徹底的にチェックして修正箇所を見つけて赤を入れたのち、「先生がプロの目でチェックした後だからまず見つからんと思うが、校正の練習じゃ。他に修正箇所があるかどうか、見つけられるもんなら見つけてみい」と言って学生たちに回すのであるが、毎回毎回、私が見つけた修正箇所の倍ぐらい見つけてくるので、私はすっかり学生たちから「節穴の目」と呼ばれる近年である。
しかし、近年のインタレスト履修学生の構成能力の進歩には目を見張るものがある。最初は正直、「学生の校正能力なんか大したことないだろう」と少々ナメとったのであるが、文字の間違いとか表記の統一とか、写真の入れ間違いやトリミングの不具合とかいった基本的なチェックが、みんな非常に細かいところまで行き届き始めている。それに感心していたら、そのうち文章のニュアンスに対する違和感なんかまでチェックを入れてくるようになって、「やるやないか」というレベルにまでなってきて、ちょっと驚きである。
ただし、文章にチェックを入れてくるやつの10人中10人が、私の書いた原稿の「団長テイスト」の部分に違和感を指摘してくるのがちょっと苦笑である。
学生「本文は全部“ですます調”なのに、ここのところだけ“である調”になってるんですけど」
田尾「おー、よく気がついた。けど、そこは俺のリズムでわざとそう書いてるんや」
学生「ここのところ、同じような言い回しが連続してるのが気になるんですけど」
田尾「おー、そこに引っかかったか。そこはちょっと、俺のリズムでわざとそう書いてるんや」
学生「この段落の最初ですけど、いきなり“というわけで”と始まったらどういうわけかわからない読者が出てくるので、ちゃんと説明した方がいいと思うんですけど」
田尾「鋭い指摘や。けど、そこはちょっと、俺のリズムでわざとそう書いてるから、そのままにしといてくれ」
みんな、ものすごく注意力が身についてきているぞ。ただし、ものすごく身についてきているが、それを全部修正したら、俺の文章でなくなるぞ。それは、こないだの「チャットGPT」の要約文章と一緒じゃ(笑)。
というわけで(笑)、今回の特集は、
●「日本全国・うどんの起源説」~全国の伝統あるご当地うどんは、どんな起源を掲げているのか~
●諸説あり「日本全国・銘菓の由来」
●「老若男女300人に車のナンバー付け理由を聞いてみた。」
●香川の先人たちの功績を、ひっそりと記す「記念碑だって、見てほしい。」
の4本立てである。前半2つの「うどんの起源説」と「銘菓の由来」は、まあ言うたら「ネット見たらあるやん」というネタではあるが、そこは『インタレスト』であるから「ネット見てもない」ような編集をちゃんと施した“ウンチク”特集に何とか仕上げたつもりではある。3つ目の「車のナンバー付け理由」は久しぶりの「聞き取り調査」ネタに一般情報をちょっとだけ補足。4つ目の「記念碑」はどっちかというと地味な写真ネタではあるが、これもウンチクをちょっと加えて、タイトルも戸川純にリスペクトしてひねってみたがどうか(わかる人が5人ぐらいいてくれたらちっちゃなガッツポーズであるが・笑)。
というわけで(もうええっちゅうに)、たぶん38号は予定通り月末に納品されると思いますので、郵送希望者はいつものようにメールで注文入れといてください。
(ハガキ等)〒765-8505 香川県善通寺市文京町3-2-1 四国学院大学「インタレスト編集部」(Eメール)interest@sg-u.ac.jp
今年団長が数多く行ったうどん店ランキング(10月17日現在)
日記1回の更新もままならないぐらい『インタレスト』に苦しんでいるので、こんなもので1回稼いでおくことにする。
【2024年・団長が数多く行ったうどん店ランキング(10月17日現在)】
1位 19回 がもう
〃 19回 宮川
3位 12回 なかむら
4位 9回 田村
5位 6回 宮武
〃 6回 山越
7位 5回 おか泉
〃 5回 はりや
〃 5回 さぬき麺市場
10位 4回 おふくろ
〃 4回 清水屋
〃 4回 谷川米穀店
〃 4回 松下
14位 3回 一福
〃 3回 大円
〃 3回 八輻
〃 3回 はなや食堂
〃 3回 日の出製麺所
19位 2回 川川
〃 2回 七福
〃 2回 まさ家
〃 2回 山内
23位 1回 おかだ、香の香、中村、まえば、八十八庵、柳川、山神、山とも、渡辺(丸亀)、他十数軒
ちなみに、うどん店以外のトップ3は、
1位 36回 SALON NAKAZORA
2位 12回 グランドファーザーズ
〃 12回 ピッコロヂヂ
という状況。ちなみに、店の前まで行ったのに行列で入るのを断念した回数ランキングはちょっとあやふやだけど、
1位 5回 はりや
2位 3回 歩
3位 2回 がもう
といったところである。以上、主にH谷川君とその周辺のうどんファンに向けてやっつけでお送りしました(笑)。
粟島の「ピンコロ地蔵」。
なかなかキツイ筋肉痛に見舞われていたふくらはぎが、正確にはふくらはぎよりもその下部あたりのヒラメ筋痛が、10日ぐらい経ってようやく元に戻って普通に歩けるようになった。ちなみに、「ふくらはぎ」は「ふっくらしたはぎ」で、「はぎ」は膝から足首までの間のことで、「ヒラメ筋」の「ヒラメ」はシタビラメ、こっちで俗に言う「ゲタ」のことで、それに似た形なので「ヒラメ筋」と言うらしいが、そいつが筋肉痛になった原因は、10日ぐらい前に粟島の城山(じょうのやま)に登ったからである。
何でそんなことになったのかというと、1カ月ほど前、高校時代のポン友の通称「ポン吉」君に誘われたからである…と書き始めて、「ふくらはぎ」と「ヒラメ筋」を調べたついでに「ポン友」を調べたら、えーっ! 「ポン友」は「ポンユー」という中国語由来の外来語だったのか!
脇道に逸れまわったら話が進まんが、数十年にわたって染みついた私の習性で、そこが「ガンマGTP」でなくて「チャットGPT」に再現できない付加価値だから仕方がない。それで、9月28日の土曜日、私とポン吉と粟島にちょっとだけ詳しい竹内(中学、高校の同級生)のおっさん3人で、午前10時50分須田港発の、定員が80人ぐらいの車が1台しか積めないフェリーで、粟島に渡ったのである。
行きのフェリーには、ほとんど若いもんばっかり30人ぐらいが乗っていた。何か近年、瀬戸芸をはじめ雑誌やSNS等で離島の粟島が時々紹介されているみたいで、その影響もあって、というかその影響しかないと思うが、土曜日のこの時間で大体そういうことになっているらしい。けど、粟島に着いてそこから徒歩で「城山」に向かったのは、我々3人だけであった(笑)。
城山は標高222mの低山であるが、道中、ほとんど緩む道のない上り坂の連続で、誘ってきたポン吉が一番バテて、峰山に時々登っている私が一番健脚だったようだが、とりあえずほとんど休まず、たぶん30分以上かけて山頂に到着して、「ええ景色やなー」言うてたら昼になって、おにぎり1個食べて、帰りのフェリーの時間まで2時間ぐらいあったので、下りてどこかで時間を潰すことにした。
田尾「かき氷とか食える店、あったかのー。1軒、カフェみたいなのがあったけど、若いもんがいっぱい入っとったから、おっさん3人が行ったらちょっと辛いなあ」
竹内「昔来た時に、粟島の『海ほたる』か何かで活動しよった人がやっとる店があったような」
田尾「西山さんか」
竹内「おー、そうや。その西山さんはもう亡くなったんやけど、奥さんが引き継いでやっとったと思う」
田尾「え! 西山さん、亡くなったんか」
竹内「もう亡くなって何年もなるぞ」
粟島の西山さんと言えば、昔、竹下登さんが「ふるさと創生」で日本全国の市町村に1億円ずつ配った時、詫間町で当時の横山町長がしかるべき人を集めて「1億円の使い途会議」をやったのだが、そこに呼ばれて行ったらメンバーに西山さんがいて、そこで知り合って以降何度かお会いしたことのある、上岡龍太郎にそっくりのエネルギッシュなおじさんであるが、亡くなってたのか。
そこで山を下りて、とりあえず竹内の記憶頼りでその店を探すことにした。「海岸沿いの道からちょっと入ったところにあったと思う」ということで何度か迷いながらウロウロ歩いていたのだが、ようやく見つけたら、休みだった。というか、もう営業していないような佇まいだった。仕方なく海岸沿いの道に戻って、「さてどうするか」と相談していたら、角にあった駐在所から駐在さんが出てきて、こっちに近づいてきた。
田尾「あ、駐在さんがこっちに来るぞ」
ポン「怪しいおっさん3人組がウロウロしよるけん、職質に来よんや」
田尾「怪しいもん持ってないか?」
ポン「存在自体が怪しいが」
などとボケあっていたら、駐在さんが声を掛けてきた。
駐在「あの、田尾さんですか?」
田尾「何でやねん!」
何でこんな滅多に来ん離島でそんな人に出くわすんや(笑)。
駐在「あの、私、昔、『文化人講座』に投稿してたんです」
田尾「えー! 載りました?」
駐在「ほんの何回か」
田尾「ペンネーム、何?」
駐在「いや、覚えてもらえるほど載ってないんで(笑)」
田尾「じゃ、こっちも覚えてなかったら気まずいんで、詮索はここまでにしときましょう(笑)」
などという立ち話があって、駐在さんと別れて3人は港の方に向かった。
ポン「田尾お前、ほんまにうかつなことできんのー」
田尾「うかつなことなんか、しよらんが」
まあ、本人が誠実に生きてても気がつかんところで知らん間に誰かに嫌な思いをさせていることは多々あるだろうが、そこはそれで、何かあったらその場で謝るしかないが(笑)。
それから仕方なく近くの施設とかで時間を潰して港に帰ったら、竹内が看板の誤字を見つけた。
竹内「これ、ピンコロ地蔵の下の説明書き、ところどころ字を間違ってないか?」
ポン「おー、『希望』の『希』が『布』になっとる」
竹内「その上の『輝く』も、『軍』の中の『車』のところが『東』になってないか?」
田尾「あ、ほんまや」
ポン「『健康』の『健』も縦棒が上に突き出てないみたいに見えるな」
…などと言いながら横の「ピンコロ地蔵」なるものを見たら、こういうふうになっていた。
竹内「これも『地蔵』の『蔵』の字がちょっと怪しいのー」
田尾「というかこれ、手前の瓶で1文字隠れとるけど、あの『コ』が隠れたらあそこに違う字を入れて読むやつが出てくるんちゃうか?」
ポン「あっはっは!」
田尾「これ、写真に撮ってO船に送ったら、あそこに絶対「サ」を入れるぞ」
ポン「間違いない(笑)」
というわけで、午後2時50分発のフェリーに乗って須田港に帰った。帰りのフェリーは、60人ぐらいが乗っていた。「離島経済新聞」によると、粟島の人口は2015年に216人だったのが2020年に154人に減って、2023年は152人とある。人口は瀬戸芸の会場になって以降も増えてはないが、観光客はそういう感じになっているようだ。
***
で、その城山に登った時の筋肉痛が2日後の月曜日にピークが来て、ピークが収まらないまま木曜日まで来て、金曜日から少しずつ収まりかけて、本日ようやく回復したという「老人力」レポートであったが、粟島から返った翌日、ポン吉からこんなメールが入った。
「『ピン○ロ地蔵クイズ』のO船君の回答はズバリ、『ピンサロ』でした。」