団長日記
2025年「団長ニュース」(最終回)
10日ぐらい前に数十年ぶりに昔なじみの四国新聞のM車記者から電話がかかってきて「『インタレスト』の終了を記事にしたい」と言うので、恥ずかしながら「そんなものでよければ」ということで受けたら、先週の木曜日に取材に来てくれた。ちょうど『インタレスト』の授業の後だったので(冊子の発行は終了したが、授業は2月まであるので)、最終号の編集長の坂東と副編集長の宮地、池川、滝口、小野の首脳陣も残っていたのだが、M車君に「写真を撮るのでみんな並んでください」と言われてホワイトボードの前に並んだ時に気がついた。
田尾 いかん。最終号の首脳陣、『インタレスト』史上初めての「女子ばっかり5人」や。
M車 いいじゃないですか。
田尾 いかんいかん! ちょっと平松(男)呼んでこい!
坂東 平松さん、今日来てないんで間に合いませんよ。
というわけで女子学生5人と一緒に写真を撮られたため、私はいつ新聞に載るか、毎日四国新聞が届くたびにビクビクしながらページをめくっていたのである。すると、20日の火曜日にM車君から電話がかかってきた。
M車 あ、田尾さん、こないだ取材したやつ、明日載りますんで。
田尾 明日かー。
M車 ただ、一つ残念なことが。
田尾 何? 何か悪意のある記事になった?
M車 いや、田尾さん今日、70歳になったじゃないですか。それで、昨日までに掲載されたら年齢表記が「69」だったのが、「70」で載ることになりました。
田尾 掲載拒否じゃ。
というニュアンスのやり取りがあって、昨日の新聞に半4段ぐらいで大きく掲載されました。あー恥ずかしい(笑)。
しかし、これまで新聞もテレビも雑誌も、私が出た時はほぼ例外なく私の意図することからちょっと違ったニュアンスが出ていたのであるが、今回の記事は気心が知れていたせいかM車記者の“腕”か、タイトルから本文の言葉の端々まで、私にとっては完璧な記事であった。過去の特集の切り口のおもしろさを並べた後、「その一方で○○、○○など、恐らくこの先役に立ちそうもない調査も」とちゃんと落として(笑)、しかし「その切り口やユーモアがファンを魅了してきた」とフォローしてくれている。「最後に読者に一言」と言われていろいろ思いつきで答えた内容も、「田尾教授は読者に向けて『いつまでもあると思うなよ(笑)。こんな癖のある雑誌で一緒に遊んでくれてありがとう』と感謝」とまとめてくれた。私の中では冗談に見せかけて結構深いつもりの「いつまでもあると思うなよ」のワードを最優先に切り取って、しかしそこに(笑)をくっつけて私を「いい人」に見せてくれるあたりも文句なし…って、プロの記者に何を上から目線で言っているのか私は(笑)。いや、本当にありがとうございました。いい“締め”になりました。
といったところで、さすがにもう去年の話をいつまでも引っ張るわけにはいかないので、2025年「団長ニュース」の残りをタイトルだけ羅列して終わっておく。
【13位】数十年ぶりに日本コナモン協会の熊谷真菜会長に呼び出されて、高松で行われたコナモン会議に出る。
【12位】日の出製麺所の三好君の出版記念パーティーに連行されて、ガモムスたちと出て小ネタを披露する。
【11位】NHK高松の「讃岐うどん特集」に出る。
【10位】NHKワールドの「うどん特集」に出る。
【9位】高松西高の「うどん」をテーマにした放送作品に出る。
【8位】「カマ喜ri」でPayPayデビューする。
【7位】「時とまる」にハマる。
【6位】岡山の情報誌『オセラ』に出て、『うどラヂ』テイストで「注目の若手うどん店」を紹介する。
【5位】残念なうどん屋に4軒も当たる。
【4位】『うどラヂ』1000回記念イベント開催。
【3位】『インタレスト』終了。
【2位】『超麺通団5~恐るべきさぬきうどんの世界』を出版。
以上、書こうと思えばそれぞれ一本ネタになるのだが、そんなことをやってたら年が明けそうなので、詳細はまた「いずれの機会があれば」ということで、1位はこれ。
【1位】「おか泉」の店の前にバス停「おか泉前」ができる。

いや、団長のニュースというわけではないのだが、これは讃岐うどんの史上のポジティブな意味での「事件」であると思ったので(笑)。詳細はまた「いずれの機会があれば」ということで。
2025年団長ニュース(その2)演劇アフタートーク
昨日、午前中から授業を2本終えて残務を終えた午後2時頃、高松に向かう前にガソリンが少なくなっていたので善通寺のガソリンスタンドで満タンにして、ついでに車がまあまあ汚れていたのでスタンドに併設されているセルフ洗車機で今年の初洗車をして、拭き上げスペースに車を停めて窓をきれいに拭いて、ボディーも拭いて、アルミホイールも丁寧に拭き上げようと1つ目のタイヤに取りかかった瞬間、晴天にわかにかき曇り、雨が降ってきたやないの!
善通寺上空にさっきはなかった黒い雲が突然現れて、しかし西の方の空は明るく、東の方もそれなりに明るく、「善通寺の上にだけ雨雲がいる」という理不尽なことになっているではないか。そこから雨足は弱まることなく、車はあっという間に雨まみれになって、「何ちゅう初洗車じゃ」と思いながら雨の中をガソリンスタンドを出て善通寺インターに差しかかった途端、雨が上がった。しかも、高速に乗ったら晴れ間まで出てくるという、まさに目の覚めるような新年を迎えたので、「去年の団長ニュースなどにうつつを抜かしている場合ではない」ということで一気に仕舞いをしておく。
【14位】演劇公演のアフタートークに出る
四国学院の社会学部には演劇コースがあって、プロの演出家の人たちが履修学生を指導しながら学内の100~150人ぐらい収容できるスタジオで演劇作品を披露したりしているのだが、ある日、その演劇の阪本先生から「田尾先生、アフタートークに出てよ~」とかいうアバウトな依頼が来たのである。
聞くと、年に何度か行う演劇公演の後、演出家や演劇の先生たちが観客を前に作品評や四方山話でトークをしているそうで、「次の公演の後のトークに出てくれないか」とのこと。私が「演劇ネタなんか持ってないですよ」と言うと、どうも今度の公演はコンテンポラリーダンスに舞踏をミックスしたみたいな作品らしく、どこから聞きつけてきたのか「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいって聞いたんで大丈夫ですよ。『インタレスト』のニーマちゃん(坂東)も出ますから見てやってください」と押してくる。「けど僕、しゃべり出したら脱線しますよ」と粘っても「全然オッケー。いつもそんなに真剣な話ばっかりやってないから(笑)」と言われて、ついに屈してしまったのである。
そういうわけで当日、学内のスタジオで1時間半ぐらいの公演を見た後、一般客が数十人入った客席を前に、30代か40代の若い演出家の方と阪本先生と同じ学部の福永先生と私の4人のアフタートークが始まった。最初は演出家の方と阪本先生が真面目で高尚な演劇論を交わしていたので「どうなることか」と心配していたら、阪本先生が「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいんですよね」と振ってきた。しかし、詳しいといっても私は昭和の暗黒舞踏、具体的には「大駱駝艦」と「白虎社」と「山海塾」ぐらいしか知らないので、昔話をするしかない。しかし、「おっさんの昔話」は若い世代には一番嫌われるヤツだから、あまり語りたくない。でも何か語らないといけない。私はとっさに、この日の公演の振り付けの中にあの頃の暗黒舞踏の体の動きが時々微妙に出ていたのを思い出して、そこを突破口に無理やり話を切り出した。
(田尾)昔、「白虎社」が解散した後、「白虎社」で活躍していた人が何人かコンテンポラリーダンスに行ったんですよ。S東さんとか。
(阪本)えっ! 田尾先生、S東さん知ってるんですか!
(田尾)昔、県の芸術フェスティバルで「白虎社」を呼んだ時に、向こうの窓口がS東さんでこっちの担当が僕でした。
(阪本)S東さんは今、コンテンポラリーダンスの重鎮ですよ。
(田尾)ほんまですか! ちなみにですね、僕、S東さんとか「白虎社」の親分だった大須賀さんとか「大駱駝艦」の麿赤児さんから同じような話を聞いたことがあるんです。「暗黒舞踏の体の動きは日本人の文明以前の古代の姿勢とか動きがベースで、具体的にはまず、体の全ての関節を曲げるんです」って、例えばこう…
と言って、腕を体の前で交差して肘と手首と指を全部曲げて、数十年前に麿赤児さんから教わった『怪談・海印の馬』の「安産祈願」というシーンに出てくるポーズ(誰も知らんか)をやりかけたら、演出家の方が立ち上がって、ピシッとポーズを決めて言った。
(演出)こういうやつですか。
(田尾)あー! それそれ!
(演出)あと、こういうのとか。
(田尾)あー! それは「白虎社」の『ひばりと寝ジャカ』の、オープニングシーンのサビのところで出てくるポーズ!(知らんがな)
「いや、やっぱり何か、暗黒舞踏からコンテンポラリーダンスに受け継がれてるものがあるんだ」と思いながら、ひとしきり盛り上がって、しかし私にはもうネタがないので、私はそこからしばらくおとなしく皆さんのトーク回しの聞き役に回っていたのである。
すると、何かの話題から演出家の方が昔のロシアの天才ダンサーの名前を何人か口にした時、「ニジンスキー」という名前が出た。「ニジンスキー」は20世紀初頭のロシアのバレエダンサーの名前であるが、もちろん、それを聞き逃す私ではない(笑)。
(田尾)ニジンスキーと言えば。
(阪本)え?! 田尾先生、暗黒舞踏以外にも食いつくんですか?
(田尾)いや、昔、「ノーザンダンサー」いう馬がいましてですね、日本語に直訳したら「北の舞踏家」なんですけど、その子供にロシアのバレエダンサーの名前を取った「ニジンスキー」いう素晴らしい馬がいるんです。「北の舞踏家」の子供に「ロシアのバレエダンサー」の名前を付けるという、いいでしょ? 競馬って(笑)。
(阪本)何かおしゃれ。
(田尾)さらにノーザンダンサーの子供は他にも、ロシアのバレエダンサーの名前を取った「ヌレイエフ」という馬がいて、さらにフランスのバレエダンサーの名前から取った「リファール」もいて、さらにロンドンのバレエ劇場の名前から取った「サドラーズウェルズ」いう馬もいて…
(演出)………
(田尾)そんな時に、日本の社台グループの吉田さんがノーザンダンサーの子供の「ノーザンテースト」を種牡馬として輸入したんです。そしたらあーた、ノーザンテーストの子供が勝つわ勝つわ! ダイナガリバーが日本ダービーに勝って、アンバーシャダイが有馬記念と天皇賞に勝って、ギャロップダイナが天皇賞と安田記念に勝って、牝馬もシャダイアイバーとダイナカールとアドラーブルがオークスに勝って…もう日本の競馬界にノーザンテースト旋風が吹き荒れて大変なことに…
(阪本)あの田尾先生、競馬の話はもういいです(笑)。
しゃべりながらチラチラと客席の反応を見てたら結構笑いが来てたのでちょっとだけ突っ走ってみたが、そやから言うたやないの、「脱線する」って(笑)。というわけで、うかつに私を呼んだらそういうことになるという、自戒も込めて、畑違いのところに突っ込んで行った自分を考え直す意味で14位に置いてみた。というか、何が「一気に仕舞いをしておく」だ、と自分で突っ込んで、今日はこれぐらいにしておく。
2025年「団長ニュース」(その1)
30日、31日と2日連続、朝の7時台に家を出発して峰山3時間コースの徘徊…でなくて山登りウォーキングに行った。今年は「体を動かすモード」で締めくくりであるが、締めくくりついでに、2025年の「団長ニュース」を並べて終わることにする。
【16位】ガモムスと遠山たちと阪神競馬場に行く。
ごん 16位から?
田尾 適当に引っ張り出して並べたら16コ出てきたもんで(笑)。
コピーライター引退中の遠山がガモムスを巻き込んで矢の催促をするもんだから、3月のある日、『インタレスト』と『超麺通団6』の締切がダブルで迫っているというのに、私の運転で阪神競馬場へ行ってきたのである。この3人で競馬場へ行くのは8年前と2年前と今回の3回目(今回は遠山のお友達も来たので4人)。私はもう10年以上前から馬券を買わなくなっているのだが、誘われて競馬場へ行く時にはまあレジャー代だと思って1レースに5000円ぐらい使うつもりで行く。で、過去2回はいずれもワタクシ、「5~15万円プラス」という中ぐらいの勝利を収めておりまして(笑)、当たり馬券は全部ガモムスと遠山に見せているので、ヤツらの前では私は「無敗の男」を続けているところである。
当日は午前10時頃に西宮市に入ったが、競馬場の駐車場はたぶん入れないし、もし入れたとしても出る時に大渋滞になるので、阪神競馬場のある阪急の仁川の一つ手前の甲東園の駅の近くの駐車場に車を停めて、一駅分電車に乗って11時頃に競馬場に到着。ガモムスと遠山たちはスタンドの指定席に陣取った。私も一旦指定席に着いたが、すぐに競馬場巡りに出かけていろんな施設やら客層やらを観察したり写真を撮ったりしながら、昼過ぎの5レースから馬券を買い始めた。
ところが、この日はどうも調子が悪くて、5、6、7、8レースと4連敗。少し控え目に買ってはいたが、この時点で1万5000円ぐらい負けていた。しかし、私は自分で言うけど、競馬に関してはタダ者ではない(笑)。続く9レースで6番人気の馬から1000円で10点の大勝負に出たところ、軸馬は2着だったが1着に8番人気の馬が来て、万馬券ゲット。10万円ぐらいを頂いて一気にプラスに転じたところで、私は考えた。「無敗の男」を続けるには、ここでやめた方がいいのではないか? しかも、『インタレスト』と『超麺通団6』の締切を抱えて今日はパソコンを持ってきているから、仕事もできる。
というわけで、10レース以降、私は馬券を買うのをやめて、4コーナーのそばの木立の中のテーブル付きのベンチに陣取って、芝のレースで馬群が4コーナーを曲がるあたりで写真を撮ったりしながら、最終レースが終わるまでずっと、パソコンを開けて野外で原稿を書いていたのである。その結果、現在、依然として私は「私とガモムスと遠山で競馬場に行ったら無敗の男」のままである(笑)…ということで、「『格付けチェック』のGACKTの気持ちがちょっとわかりかけた」という理由から16位に挙げてみたがどうか。
(↓これが当日の写真)

【15位】「迷惑なねっく」に2回もゴルフに付き合わされる。
ごん ちょっと、このペースで1位まで行けます?
H谷 ごんさん、これ、『うどラヂ』の「団長が今年数多く行ったうどん屋ランキング」の発表と同じパターンじゃないですか?
ごん 何週引っ張るつもりや!
私はこの20年ぐらい、ゴルフは年に1回行くか行かないかぐらいに縁遠くなっていて、近年は特にねっくが東京から帰ってくる時に無理やり付き合わされるゴルフだけにしか行ってないというのに、今年は2回も付き合わされるハメになったのである(ま、私もたいてい断らないのであるが)。で、ゴルフ自体は別に「団長ニュース」にランクインするようなものではないのだが、ちょっと印象に残ったことがあるので15位に入れてみた。
これも3月のある日、ねっくが事前に「志度カントリークラブ」を予約しているというので、『インタレスト』と『超麺通団6』の締切をダブルで抱えている私は(もうええっちゅうに)「嵐が来て中止になれ」と祈りながら(というか、断りなはれ!)当日を迎えたら、何と至誠天に通じ、その日は朝から風雨強し、波高し。しかし、「これはコース閉鎖になるんちゃうか?」と思ってねっくに「今日は中止やな」と電話すると「とりあえず行ってみましょうよ」と言うので、まあ他に予定もないので高松のホテル前でねっくを拾って、午前9時過ぎに志度カントリーに到着した。
そこから一応スタートできる準備はしたが、風雨が収まらないのでクラブハウスのレストランに行ってコーヒーを飲みながら外の様子を窺っていたら、向こうの方にコースに出ている人が見えた。どうやら他の客はみんな、カッパを着て次々にスタートしたらしい。我々はこの日の最後のスタートで、係の人から「スタート時間を30分ぐらい遅らせてもいい」と言われたが、20分ぐらいが過ぎた頃に風雨が少し収まってきたので、「行くか」ということで、我々もカッパを装着してスタートした。
そこから2時間少々、人に言えないスコアでハーフを終えてクラブハウスに帰ってきたが、悪天候でシューズはドロンコ。芝もいっぱいくっついているので、例の「プシュー!」いうやつで靴の表面から底から吹き飛ばしてきれいにして、建物の中に入って階上のレストランに向かう階段に出た瞬間、私は目を疑った。階段が下から上までドロンコ! さらに芝の切れっ端も至る所に散乱している! 一瞬災害にでも遭ったのかと思ったが、あとで聞いたら、東アジアの某国の50人ぐらいの団体がコンペをやっていて、その全員が泥だらけの靴のクリーニングをしないまま上がってきたらしい。名門志度カントリーのクラブハウスが台無しじゃないか。
それを見て私は、神戸三田アウトレットに行った時に、女子トイレから出てきた家内が「床にティッシュかトイレットペーパーかわからん紙が散乱しとる」と言ってプンプン怒っていたのを思い出した。ショップの店員によると、あそこも東アジアの某国や某国からの客が殺到し始めてからそういう状況がよくあるそうだが、志度カンや三田アウトレットに限らず、習慣や価値観の違いというのはあちこちでそういうことなのだろうと思う…ということで、ニュース等でそんな話はよく聞くが、初めてそれを自分で目の当たりにしていろいろ考えさせられた、ということで15位に置いてみたがどうか。
といったところで、特に笑いどころもないまま、年末はこれぐらいにしといてやる(笑)。このあと、最後にごんもH谷川君も谷本姉さんも鍛冶君もおそらく予測できないであろう衝撃の1位が待っているが、問題はその発表がいつになるかだ(笑)。
