団長日記
『オセラ』発売中。久しぶりに「ゲリ通」テイストの会話文が載っています(笑)。
カラスの帰宅時間が早くなってきて、季節の移り変わりをしみじみと感じる今日この頃である。今朝は昨日の雨がすっかり上がって晴れ渡り、仕事前にベランダに出て外を眺めていたら、「キウイが飛びよんか!」と思うぐらい丸々と太ったスズメバチが目の前を飛んで行った。「あいつらもエサをたらふく食って冬支度か」と思いながらこれまた季節の変わり目をしみじみと感じる朝であったが、北の空に湧き上がる雲が入道雲みたいな形をしていて、「夏か? 何か妙なことが起こるんちゃうか?」と思っていたら案の定、昼頃になって突然の豪雨。俺、天気の予測ができるんちゃうか? と思ったという、どうでもいい情報からの「予測できるんちゃうか」つながりでひとつ。
日本シリーズの第1戦、2-1で逆転勝ちして初戦を取った阪神のヒーローインタビューで森下が最後に「甲子園で決めます!」言うた時、私はテレビに向かって「それ言うたらいかん」と声が出たのである。何でかというと、1989年の「巨人ー近鉄」の日本シリーズで近鉄が3連勝した時、近鉄のピッチャーの加藤が「打たれそうな気がしなかった。シーズン中の方がしんどかった。(パリーグ最下位の)ロッテより迫力がなかった」みたいなことを言ったら、怒った(かどうか知らんが)巨人がその後4連勝して日本一になって「加藤の失言」が歴史に残ることになったのを、リアルタイムで見て覚えていたからである。そしたら阪神もその後、ほんまに4連敗して、ほんまに「甲子園で決め」られてしまいました(笑)。まあ森下も勢いで言っちゃったんだろうし、それが一番の敗因かどうかはわからないけどそういうことになってしまったという、まあ最後まで私的にいろんなネタを提供してくれた今年の阪神でした。
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さて、こないだH谷川君と一緒に「一般店1日5軒の荒行」をやってきた様子が載った『オセラ』が発売されたようで、我が家にも掲載誌が送られてきた。こないだの日記ではネタバレを避けてイニシャルトークにしたが、「この10年ぐらいで新しくできた若手の大将がやっているうどん店で、麺のクオリティが高くて方向性もバラエティで団長が注目している店」として選んだのは、西から観音寺の「カマ喜ri」、善通寺の「川川」、丸亀の「時とまる」、「竹寅」、「渡辺」、高松の「瀬戸晴れ」の6軒である。で、早速ページをめくってみたら、むちゃくちゃうまそうな麺の写真が載っとるやないの!
特に掲載1軒目の「時とまる」の麺の写真は、私が近年見た麺の写真の中でも1、2を争うほどの出来栄えである。私はうどんの出来の善し悪しを主に麺で判断するタイプなので、取材の日にカメラマンに「麺のアップを必ず撮ってください」と言っていたのだが、「出来のいい麺を腕のあるカメラマンが撮ったらああいう写真に仕上がる」というやつを、久しぶりに見せつけられた。
続いて「竹寅」も、「カマ喜ri」も、「川川」も「瀬戸晴れ」も麺の表面の微妙な違いをきちんと拾ったいい写真が載っていた。唯一「渡辺」だけ、濃い目のダシに浸かった麺の上に木の葉型天ぷらが乗った「かけ系」のうどんの、麺の凄さが伝わってこない写真が載せられていたが、まあ確かに“木の葉型天ぷらうどん”は「渡辺」の名物ではあるから仕方ないか。けど、特集の頭のリードに「なお、二人の麺への愛が深すぎて、もっとも麺の美しさが伝わる『ざる』や『ぶっかけ』ばかりが登場する点はお許しを」という文章が書かれていたように、「うどんの凄さを麺で見せる」というアプローチは我々は当たり前の讃岐うどんの基本だと思っているけど、時代はそうじゃない方向に行ってるのかもしれない。
あと、各店の紹介文章はほぼ全編、私とH谷川君の「ゲリ通テイスト」の会話文となっております(笑)。最初、ロケに同行した先方のライターさんが紀行文を書いて、その中に私とH谷川君がしゃべった内容をところどころにちりばめるみたいなことかと思っていたら、ゲラでいきなりほぼ全編会話文になっていたので、「会話文ならそうはいかん」ということで“会話文の魔術師”こと私が全部書き直した。ところが、行数も合わせてバシッと叩きつけたら、1行の文字数を間違ってて大幅にカットするハメになったという大惨事に。そのせいでちょっと流れが詰まるところが数カ所あったり、「渡辺の女将さんが落ち着いてない話」がカットされたりしているが(笑)、それでもまあ「進化したゲリ通」の短縮バージョンにはなっているので、よろしければどこかでお目にしてください。敬語が間違ってる気がするけど。
ちなみに、あの取材依頼は大学経由で私のところに来たので大学にも掲載誌が届いたらしいが、こないだそれを読んだ職員から「やっぱりおもしろいですね! 文章がまんま『インタレスト』じゃないですか!」と言われた。違うぞ。逆やぞ。『インタレスト』がまんま「ゲリ通」と『恐るべき』と『TJーKagawa』テイストなんじゃ。
鳥に始まり、鳥に終わってみたが。
話は3日前に遡るが、遡ったからと言っても大してオチのある話ではないので注意。木曜日の夕方、家の仕事部屋でいろんな締切モノに追い込まれながら17:30頃、ちょっと一休みしてベランダに出たら、カラスが帰宅を始めていた。
私の仕事部屋の外の狭いベランダは東向きで、夕方になると上空を結構な数のカラスが東に向かって飛んで行くのが見える。時間は季節ごとにほぼ決まっていて、この時期はだいたい17:30頃から18:00頃にかけて、1羽ずつだったり、3羽4羽と固まっていたり、時々10羽以上の団体だったり、いずれも高松市街地の上空から屋島の南あたりに向かって飛んで行くのであるが、この日はその30分ぐらいの間に、392羽が東の空に飛んで行った。
「数えたんか!」というツッコミには、「数えた」と答えておく。私は仕事の途中でベランダに出て、空や海や市街地を見ながら頭をクールダウンさせることがよくあるのだが、それがカラスの帰宅時間に出くわした時は、たいてい数を数えている。これまでの最多記録は437羽であるから、たぶんヤツらは400羽ぐらい、昼間は西の方に行って何かしてて、夕方になったら東の方へ帰っているのである。ただし、あのカラスたちのねぐらがどこにあるのかはわからない。とにかく屋島の南方向に向かって飛んで行くのだが、どこで下りているのかは見えたことがない。
ちなみに、カラスに混じって時々、ムクドリの大集団が同じように東に向かって飛んで行くが、あいつらのねぐらはわかっている。高松市中心街のど真ん中、中央通りの中央分離帯にズラッと並んでいる街路樹のクスノキの中である。あいつらも昼間はどっかに行ってエサでも食ってるのだろうが、夕方になると大群が中央通りのクスノキに帰ってきて、うるさい上にフンをする。私は夕方以降に中央通りの分離帯側の車線を走っていて何度もフンを落とされたことがあるので、今はよっぽどの状況に追い込まれない限り、中央通りの最内車線は走らないことにしている。
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というわけでカラスとムクドリはさておいて、本題はここからである。ただし、本題と言っても大した話ではないので注意である。注意せんでもええが。
翌日金曜日は訳あって観音寺に行く用事があったのだが、木曜日の時点で私の車はガソリンがかなり減っていて、我が家から観音寺の用事の目的地まで40キロぐらいあるので、出発までにガソリンを補充しておく必要があった。同時に、車がまあまあ汚れていたので洗車もしておこうと思ったのだが、木曜日は「曇り時々雨」みたいな洗車にはあまりよろしくない天気で、予報を見ると翌日金曜日は晴れるみたいだったので、私は金曜日の朝に「ガソリン満タンと洗車」をしてから出発することにしたのである。
金曜日の朝、外は曇り空だったが、予報によればここから天気は回復に向かうはずなので、私は家の近くのガソリンスタンドに行って「満タン洗車」を頼んで、休憩室でパソコンを開けて『インタレスト』最終号の第3特集の構想を練りながら待っていた。そして30分後、「満タン洗車」が終わって車に乗り込んで、観音寺に向けてスタンドを出た瞬間、雨が降ってきたやないの! しかも、西インターに乗るまでにワイパーが出動せないかんぐらい降ってきたやないの!
ところが、西インターから高速に乗って観音寺に向かい始めると、雨はすぐにやんだ。ずーっと西の方の空を見ると、青空が見えている。観音寺に着くと、雲はあるが薄日も差して、もはや雨の気配は全くない。どういうことやねん。俺がガソリンスタンドを出て西インターに乗るまでだけ雨が降ったんか!
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などという久しぶりに劇的な「洗車したら雨」に見舞われたのであるが、穏やかな好天の観音寺で12時過ぎに無事用事を終えた私は、ちょっと時間が空いたので観音寺にいる私の数少ない友人のO船に電話した。するとO船が「今、連れと昼飯食いに出とんじゃ」言うので、30分後に観音寺の港のそばの灰皿のある昭和の喫茶で落ち合うことにした。
集合したのはO船とミッチョと髙GとG田と私の5人。O船とミッチョと髙Gは高校時代の同級生で、G田くんは1年か2年後輩であるが、全員古希を目前にした昭和のオッサンである。
ミッ「田尾の本買うたけど、最初の方がめんどいきん進まんが」
O船「ミッチョ、田尾の本買うたんか」
ミッ「おお」
O船「ほな、読んだら貸してくれ」
G田「買いましょうよ! ほんで、読んだら貸して下さい」
O船「お前もやないか」
みたいなテイストの昭和のオッサンが、昔話やバカ話や、観音寺の現状と未来の考察や、唐突に家電業界の現状と将来についての意見交換なんかをしながら1時間半ぐらい費やしたのであるが、解散しようとして表に出たら、O船があるものを見つけて言った。
O船「田尾、お前、車に鳥のフンが落ちとるぞ」
田尾「なんでやねん! 今朝洗車してきたばっかりやぞ!」
O船「観音寺を侮ったらいかんが」
トランクから小さい雑巾を取りだして、後部座席左側のドアノブに引っかけられた鳥のフンを拭き取ろうとしたら、すっかり晴れ上がった天気のせいか、完全に干からびて乾いた雑巾では拭き取れん。私は雑巾を持って店に帰り、「ちょっとこれ、濡らしてくれますか?」言うて雑巾を濡らしてもらってなんとか拭き取った…という、何というか、鳥で始まって鳥で締めてみたが、どうか。どうかと言われても困るが。
「うわ、禽獣が来た」(笑)
そういうわけでこないだ、『オセラ』の“荒行”を終えて、編集者の方(女性)の運転でH谷川君を家の近くまで送って、そこから私を高松に送ってくれる道中で、
編集「田尾さんとH谷川さんは名コンビですねえ」
田尾「そうですか?」
編集「道中もそうだし、どの店に行ってもお話のネタが尽きないし、田尾さんが投げた球をH谷川さんが全部拾ってくれるし(笑)」
田尾「まあ付き合い長いから、“以心伝心”の境地に達してますから(笑)。あと1人、私が投げてない玉まで拾って突っ込んでくるやつもいるんですけど」。
…などと話していたのである。そしたら、宇多津から坂出に入るあたりで後方から2人乗りのカブみたいなバイクが2台、バインバインバイン! ババババババババ! バインバイン! ババババババ! バインバイン! いうて爆音を垂れ流しながらやってきて、我々の車の右横をバインバイン! ババババババ! バインバイン! いうて併走し始めた。それに編集者がちょっとビビった風を見せたので、私は例の「禽獣(きんじゅう)」の話をした。
田尾「ああいうのはね、僕は“禽獣”だと思うことにしてるんです(笑)。『教(おしえ)なければ禽獣に近し』って孟子か誰かが言うたらしいんですけど、ああいう連中は社会生活のマナーみたいなものの教えを受けていないやつだから禽獣だと思って対応したら、何かこっちの気持ちが整理されて穏やかになるんですよ」
編集「あ、なるほど。あれを人間だと思うからイラッとするんですね(笑)」
田尾「そうそう。例えば後ろからイノシシがバフバフ言いながら突進してきたら、とりあえず避けてやり過ごすか、『うわー、イノシシや』言うて眺めるかしますやん。少なくとも、イノシシにイラついて逆に追いかけたり、罵声を浴びせたりは、私はしない(笑)」
編集「確かにそうですね」
田尾「これの大事な目的は、禽獣を非難したり罵倒したり、あるいは諭そうとしたりするのではなくて、自分の気持ちを穏やかにすることにある、ということです」
編集「あ、そう思ったらちょっと穏やかになってきました(笑)」
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などという会話を思い出したのは、今朝、また“禽獣”に出くわしたからである(笑)。高松から善通寺の大学に行くために高松西インターの料金ゲートをくぐって高速道路の本線に合流しようとしたら、追い越し車線の後方からかなりのスピードで近づいてくる車が見えたので、「うわ、禽獣が来よる」と思った私は走行車線に入った。こっちは時速80キロぐらいで流れていたので、まあ安全に合流できた…と思った瞬間、私の後ろから同じ西インターを上がってきた車が、走行車線ではなくて、いきなり噴かして追い越し車線に入ったのである。
田尾「うわ、あいつ、禽獣の前に入って行った」
…と思ったら案の定、そいつは「噴かして入った」と言っても入った時点ではせいぜい90キロ台だから、あっという間に後方からおそらく120キロ以上で突進している“禽獣”に追いつかれて、まるで2両編成かと思うような距離に詰められてブオンブオン! とあおられよる。
まあ、人間同士だと思ったらあれは制限速度オーバーの上にあおり運転みたいな詰め方をする方が悪いのだが、「禽獣思考(笑)」からすると、「禽獣が見えたら、その前に入ったらやられるぞ」ということである。その禽獣がライオンやイノシシだったら、一旦詰められてもそのうち距離を取ってくれるかもしれないが、もしそれが『ロード・オブ・ザ・リング』の「オーク」だったらあーた、やられるよ(笑)。
みたいな私の「禽獣思考」である。私は結構な頻度で西インターから善通寺インターを走るのだが、わずか15分の高速走行のうち、3回に2回ぐらいのペースで“禽獣”を見かける。そして、見かけるたびに禽獣を嘆いたり禽獣に怒ったりするのではなく、「禽獣が来た」と思いながら、自分の心の平穏を保つ訓練を積んでいるのである(笑)。ちなみに、このご時世、読み込み能力に欠ける人たちが反射神経だけで言説を垂れ流す風潮がとても強いので念のために書いておくが、「みんなもそうすべきだ」と言っているのでもなければ、「どっちがいい、悪い」と言っているのでもない。「私はそうしている」と言っているのである。
