団長日記
団長は小学生にも容赦しない(笑)
こないだの木曜日に今シーズンの私の担当授業が終了し、さらに26人も抱えている卒業研究の指導も終わり、担当科目の成績付けも完了。例年なら2月にはもう『インタレスト』の6月1日号の編集作業が追いかけてきて、3月中旬頃からデザイン発注に向けた「怒涛の締切月間」が始まるところであるが、20年間追われ続けてきた『インタレスト』がついに終了したので、一息でなくて五息ぐらいついているところである。
そういうわけで、授業が終わった木曜日の夜は夫婦で「本気豚食(ホンキートンク)」でトンカツ食って、そこから「グランドファーザーズ」に行ってコーヒーを飲みながら一服していたら、家内がまだ仕事中の谷本姉さんに「グランドファーザーズでおるで」と連絡をしてしまい(笑)、谷本が「晩ご飯食べてないので『銀だこハイボール酒場』でもいいですか?」と言うので「晩飯、タコ焼きか?」と思いながらも夜の9時過ぎに「銀だこハイボール酒場」で合流してそこで閉店間際までしゃべり倒して、まだしゃべり足らなくてまた「グランドファーザーズ」に戻ったらスタッフに「お帰りなさい」と言われて(笑)、そこから日付が変わった午前2時までクダを巻いて、家に帰ったら倒れ込むように寝たのに歳のせいで翌朝はちゃんと目が覚めて、そのまま峰山に登って3時間ぐらい徘徊してしまうという、あまりの解放感に「どうかした」としか言いようのない週末であった。
そんな土曜日、長男夫婦が孫を2人連れて我が家にやって来た。孫は上が小学校3年か4年か5年、下が幼稚園か小学校1年か2年の姉妹であるが(覚えとらんのかい!)、まあ孫が来たからといって私は何をするわけでもなく、仕事部屋で仕事をしたり、たまにテレビを見たりしていたら、この日は何やら孫が私に用事があるらしい。
(長男嫁)みーちゃん(上の孫)、おじいちゃんに宿題のお話聞いたら?
(田尾) 何を聞かれるんや。
(長男嫁)何か学校の宿題で、「周りの大人にお仕事のことを聞いてくるように」とか言われてるらしいんです。
(みー) ……
シャイなのか、はたまた質問を頭の中で整理しているのかよくわからんが、そこでちょっと間が空いて当の上の孫が他事を始めたので、私は流れのまま仕事部屋に入って、一人で仕事を始めた。そこから小一時間、隣の部屋で長男夫婦と家内と孫2人が何かしゃべったり遊んだりしていたのだが、しばらくして孫が仕事部屋に一人で入ってきた。
(みー)おじいちゃん。
(田尾)何だ、さっきの宿題か。
(みー)うん。
(田尾)おじいちゃんのお仕事の内容を話したらええんか?
(みー)そうじゃなくて、「働くことについて」って。
(田尾)「働くこと」について語れと?
(みー)たぶんそう。
(田尾)えらいアバウトな質問やな。そんな大きなくくりだったら、答えることがありすぎるぞ。何なら1時間ぐらいしゃべってもええか?
(みー)そんなにはいらない。
ふーむ、まだ軽いボケにノリツッコミするまでは成長してないみたいだ。ま、私もそんなにしゃべるつもりはないのだが、何せ聞かれているのが「働くことについて」だから、一体何を求められているのか出題者の意図がわからんのでは、何を言ってやればいいのかもわからん。小学生の聞き取り調査をきっかけにして、とりあえず「働くことの意味を考えよう」という程度のことなのか? 「学校~教育~労働」とつなげるとつい想像してしまう左翼的な「労働」の話に持って行きたいのか? 「このご時世にそんなバカな」と思いたいが、私の信頼できる知人から「県内の小学校で左翼教育をしている」という証言を何度か聞いているし、そんな内容のプリントも見せてもらったことがあるので「そんなことはない」とは言い切れないし(笑)。
しかしまあ好意的に考えて、子どもたちみんながいずれ経験するであろう「働くこと」について、「実際働いている人にいろんな話を聞いて考えてみよう」ぐらいの軽くて健康な教育の一環だろうと思うことにして、しかしそれでも質問がアバウトすぎていろんな視点がありすぎるから、「何か一つに絞らないと」と思って小考した後、私は話を始めた。
(田尾)みんないろんなお仕事してるだろ?
(みー)うん。
(田尾)お父さんもお母さんも違うお仕事してるし、おじいちゃんも違うお仕事をしてるだろ?
(みー)うん。
(田尾)そういうふうにね、たいていみんな違うお仕事をしてるんやけど、お仕事をしている人はみんな、働いている時の「気持ち」の中に、「自分のために働いている」という気持ちと、「誰かのために働いている」という気持ちの2つがあるんよ。
(みー)………
(田尾)「自分のために働いている」という気持ちは、例えば働いてお金をもらって「欲しい物を買おう」とか「好きなモノを食べよう」とかいう気持ちね。わかるか?
(みー)うん。
(田尾)「誰かのために働いている」という気持ちは、例えばこのお仕事を私がしたら「誰かが喜んでくれる」とか「誰かの役に立つ」とかいう気持ち。わかるか?
(みー)何となく。
(田尾)ほんでね、働いている人はたいていみんなその両方の気持ちがあるんやけど、その比率が違うんだ。「比率」、わかるか?
(みー)わかんない。
(田尾)んー、じゃあ、「自分のために働いている」という気持ちがいっぱいあって「誰かのために働いている」という気持ちがちょっとしかない人がいたり、「誰かのために働いている」という気持ちがいっぱいあって「自分のために働いている」という気持ちがちょっとしかない人がいたり、両方が半分ずつぐらいあったりする人がいたりする。
(みー)うん。
(田尾)ほんでね、同じ人でも、仕事によって「自分のために働いている」という気持ちがいっぱいになったりちょっとになったりするし、若い時とか歳を取ったりとか、のんびりできる時とか大変な時とか、いろんなことが変わった時も「自分のために働いている」という気持ちがいっぱいになったりちょっとになったりするんだ。
(みー)………
(田尾)ほんでね、おじいちゃんはどんな時でも「誰かのために働いている」という気持ちが半分以上ある人が好き。以上や。うまいことまとめとけ。
まあ小学生にはうまいことまとめられんとは思うが、「たまには脳の違うところを動かしてみるのも一興」ということである。あと、「おじいちゃんにうかつなことを聞いたらめんどくさい」ということも知らせてやったということで(笑)。
2025年「団長ニュース」(最終回)
10日ぐらい前に数十年ぶりに昔なじみの四国新聞のM車記者から電話がかかってきて「『インタレスト』の終了を記事にしたい」と言うので、恥ずかしながら「そんなものでよければ」ということで受けたら、先週の木曜日に取材に来てくれた。ちょうど『インタレスト』の授業の後だったので(冊子の発行は終了したが、授業は2月まであるので)、最終号の編集長の坂東と副編集長の宮地、池川、滝口、小野の首脳陣も残っていたのだが、M車君に「写真を撮るのでみんな並んでください」と言われてホワイトボードの前に並んだ時に気がついた。
田尾 いかん。最終号の首脳陣、『インタレスト』史上初めての「女子ばっかり5人」や。
M車 いいじゃないですか。
田尾 いかんいかん! ちょっと平松(男)呼んでこい!
坂東 平松さん、今日来てないんで間に合いませんよ。
というわけで女子学生5人と一緒に写真を撮られたため、私はいつ新聞に載るか、毎日四国新聞が届くたびにビクビクしながらページをめくっていたのである。すると、20日の火曜日にM車君から電話がかかってきた。
M車 あ、田尾さん、こないだ取材したやつ、明日載りますんで。
田尾 明日かー。
M車 ただ、一つ残念なことが。
田尾 何? 何か悪意のある記事になった?
M車 いや、田尾さん今日、70歳になったじゃないですか。それで、昨日までに掲載されたら年齢表記が「69」だったのが、「70」で載ることになりました。
田尾 掲載拒否じゃ。
というニュアンスのやり取りがあって、昨日の新聞に半4段ぐらいで大きく掲載されました。あー恥ずかしい(笑)。
しかし、これまで新聞もテレビも雑誌も、私が出た時はほぼ例外なく私の意図することからちょっと違ったニュアンスが出ていたのであるが、今回の記事は気心が知れていたせいかM車記者の“腕”か、タイトルから本文の言葉の端々まで、私にとっては完璧な記事であった。過去の特集の切り口のおもしろさを並べた後、「その一方で○○、○○など、恐らくこの先役に立ちそうもない調査も」とちゃんと落として(笑)、しかし「その切り口やユーモアがファンを魅了してきた」とフォローしてくれている。「最後に読者に一言」と言われていろいろ思いつきで答えた内容も、「田尾教授は読者に向けて『いつまでもあると思うなよ(笑)。こんな癖のある雑誌で一緒に遊んでくれてありがとう』と感謝」とまとめてくれた。私の中では冗談に見せかけて結構深いつもりの「いつまでもあると思うなよ」のワードを最優先に切り取って、しかしそこに(笑)をくっつけて私を「いい人」に見せてくれるあたりも文句なし…って、プロの記者に何を上から目線で言っているのか私は(笑)。いや、本当にありがとうございました。いい“締め”になりました。
といったところで、さすがにもう去年の話をいつまでも引っ張るわけにはいかないので、2025年「団長ニュース」の残りをタイトルだけ羅列して終わっておく。
【13位】数十年ぶりに日本コナモン協会の熊谷真菜会長に呼び出されて、高松で行われたコナモン会議に出る。
【12位】日の出製麺所の三好君の出版記念パーティーに連行されて、ガモムスたちと出て小ネタを披露する。
【11位】NHK高松の「讃岐うどん特集」に出る。
【10位】NHKワールドの「うどん特集」に出る。
【9位】高松西高の「うどん」をテーマにした放送作品に出る。
【8位】「カマ喜ri」でPayPayデビューする。
【7位】「時とまる」にハマる。
【6位】岡山の情報誌『オセラ』に出て、『うどラヂ』テイストで「注目の若手うどん店」を紹介する。
【5位】残念なうどん屋に4軒も当たる。
【4位】『うどラヂ』1000回記念イベント開催。
【3位】『インタレスト』終了。
【2位】『超麺通団5~恐るべきさぬきうどんの世界』を出版。
以上、書こうと思えばそれぞれ一本ネタになるのだが、そんなことをやってたら年が明けそうなので、詳細はまた「いずれの機会があれば」ということで、1位はこれ。
【1位】「おか泉」の店の前にバス停「おか泉前」ができる。

いや、団長のニュースというわけではないのだが、これは讃岐うどんの史上のポジティブな意味での「事件」であると思ったので(笑)。詳細はまた「いずれの機会があれば」ということで。
2025年団長ニュース(その2)演劇アフタートーク
昨日、午前中から授業を2本終えて残務を終えた午後2時頃、高松に向かう前にガソリンが少なくなっていたので善通寺のガソリンスタンドで満タンにして、ついでに車がまあまあ汚れていたのでスタンドに併設されているセルフ洗車機で今年の初洗車をして、拭き上げスペースに車を停めて窓をきれいに拭いて、ボディーも拭いて、アルミホイールも丁寧に拭き上げようと1つ目のタイヤに取りかかった瞬間、晴天にわかにかき曇り、雨が降ってきたやないの!
善通寺上空にさっきはなかった黒い雲が突然現れて、しかし西の方の空は明るく、東の方もそれなりに明るく、「善通寺の上にだけ雨雲がいる」という理不尽なことになっているではないか。そこから雨足は弱まることなく、車はあっという間に雨まみれになって、「何ちゅう初洗車じゃ」と思いながら雨の中をガソリンスタンドを出て善通寺インターに差しかかった途端、雨が上がった。しかも、高速に乗ったら晴れ間まで出てくるという、まさに目の覚めるような新年を迎えたので、「去年の団長ニュースなどにうつつを抜かしている場合ではない」ということで一気に仕舞いをしておく。
【14位】演劇公演のアフタートークに出る
四国学院の社会学部には演劇コースがあって、プロの演出家の人たちが履修学生を指導しながら学内の100~150人ぐらい収容できるスタジオで演劇作品を披露したりしているのだが、ある日、その演劇の阪本先生から「田尾先生、アフタートークに出てよ~」とかいうアバウトな依頼が来たのである。
聞くと、年に何度か行う演劇公演の後、演出家や演劇の先生たちが観客を前に作品評や四方山話でトークをしているそうで、「次の公演の後のトークに出てくれないか」とのこと。私が「演劇ネタなんか持ってないですよ」と言うと、どうも今度の公演はコンテンポラリーダンスに舞踏をミックスしたみたいな作品らしく、どこから聞きつけてきたのか「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいって聞いたんで大丈夫ですよ。『インタレスト』のニーマちゃん(坂東)も出ますから見てやってください」と押してくる。「けど僕、しゃべり出したら脱線しますよ」と粘っても「全然オッケー。いつもそんなに真剣な話ばっかりやってないから(笑)」と言われて、ついに屈してしまったのである。
そういうわけで当日、学内のスタジオで1時間半ぐらいの公演を見た後、一般客が数十人入った客席を前に、30代か40代の若い演出家の方と阪本先生と同じ学部の福永先生と私の4人のアフタートークが始まった。最初は演出家の方と阪本先生が真面目で高尚な演劇論を交わしていたので「どうなることか」と心配していたら、阪本先生が「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいんですよね」と振ってきた。しかし、詳しいといっても私は昭和の暗黒舞踏、具体的には「大駱駝艦」と「白虎社」と「山海塾」ぐらいしか知らないので、昔話をするしかない。しかし、「おっさんの昔話」は若い世代には一番嫌われるヤツだから、あまり語りたくない。でも何か語らないといけない。私はとっさに、この日の公演の振り付けの中にあの頃の暗黒舞踏の体の動きが時々微妙に出ていたのを思い出して、そこを突破口に無理やり話を切り出した。
(田尾)昔、「白虎社」が解散した後、「白虎社」で活躍していた人が何人かコンテンポラリーダンスに行ったんですよ。S東さんとか。
(阪本)えっ! 田尾先生、S東さん知ってるんですか!
(田尾)昔、県の芸術フェスティバルで「白虎社」を呼んだ時に、向こうの窓口がS東さんでこっちの担当が僕でした。
(阪本)S東さんは今、コンテンポラリーダンスの重鎮ですよ。
(田尾)ほんまですか! ちなみにですね、僕、S東さんとか「白虎社」の親分だった大須賀さんとか「大駱駝艦」の麿赤児さんから同じような話を聞いたことがあるんです。「暗黒舞踏の体の動きは日本人の文明以前の古代の姿勢とか動きがベースで、具体的にはまず、体の全ての関節を曲げるんです」って、例えばこう…
と言って、腕を体の前で交差して肘と手首と指を全部曲げて、数十年前に麿赤児さんから教わった『怪談・海印の馬』の「安産祈願」というシーンに出てくるポーズ(誰も知らんか)をやりかけたら、演出家の方が立ち上がって、ピシッとポーズを決めて言った。
(演出)こういうやつですか。
(田尾)あー! それそれ!
(演出)あと、こういうのとか。
(田尾)あー! それは「白虎社」の『ひばりと寝ジャカ』の、オープニングシーンのサビのところで出てくるポーズ!(知らんがな)
「いや、やっぱり何か、暗黒舞踏からコンテンポラリーダンスに受け継がれてるものがあるんだ」と思いながら、ひとしきり盛り上がって、しかし私にはもうネタがないので、私はそこからしばらくおとなしく皆さんのトーク回しの聞き役に回っていたのである。
すると、何かの話題から演出家の方が昔のロシアの天才ダンサーの名前を何人か口にした時、「ニジンスキー」という名前が出た。「ニジンスキー」は20世紀初頭のロシアのバレエダンサーの名前であるが、もちろん、それを聞き逃す私ではない(笑)。
(田尾)ニジンスキーと言えば。
(阪本)え?! 田尾先生、暗黒舞踏以外にも食いつくんですか?
(田尾)いや、昔、「ノーザンダンサー」いう馬がいましてですね、日本語に直訳したら「北の舞踏家」なんですけど、その子供にロシアのバレエダンサーの名前を取った「ニジンスキー」いう素晴らしい馬がいるんです。「北の舞踏家」の子供に「ロシアのバレエダンサー」の名前を付けるという、いいでしょ? 競馬って(笑)。
(阪本)何かおしゃれ。
(田尾)さらにノーザンダンサーの子供は他にも、ロシアのバレエダンサーの名前を取った「ヌレイエフ」という馬がいて、さらにフランスのバレエダンサーの名前から取った「リファール」もいて、さらにロンドンのバレエ劇場の名前から取った「サドラーズウェルズ」いう馬もいて…
(演出)………
(田尾)そんな時に、日本の社台グループの吉田さんがノーザンダンサーの子供の「ノーザンテースト」を種牡馬として輸入したんです。そしたらあーた、ノーザンテーストの子供が勝つわ勝つわ! ダイナガリバーが日本ダービーに勝って、アンバーシャダイが有馬記念と天皇賞に勝って、ギャロップダイナが天皇賞と安田記念に勝って、牝馬もシャダイアイバーとダイナカールとアドラーブルがオークスに勝って…もう日本の競馬界にノーザンテースト旋風が吹き荒れて大変なことに…
(阪本)あの田尾先生、競馬の話はもういいです(笑)。
しゃべりながらチラチラと客席の反応を見てたら結構笑いが来てたのでちょっとだけ突っ走ってみたが、そやから言うたやないの、「脱線する」って(笑)。というわけで、うかつに私を呼んだらそういうことになるという、自戒も込めて、畑違いのところに突っ込んで行った自分を考え直す意味で14位に置いてみた。というか、何が「一気に仕舞いをしておく」だ、と自分で突っ込んで、今日はこれぐらいにしておく。
