団長日記

峰山の朝

 先日69歳になって、人に聞かれるたびに「23歳が3周目を終わろうとしています」とかしょーもないことを言っていたのだが、改めて振り返ってみると、最初の22年が若いけど浅はかな「社会に出る前」で、次の25年が「広告代理店4年とタウン情報21年」といういわゆる“ギョーカイ”っぽい時代で、1年挟んで次の22年が全く畑違いの「大学教員」という、ここまでザッとくくると「3分の1ずつ全く違う局面をやってきた」ということに気がついて、何かまあそれなりにおもしろい人生だったなあと思ってみたりしたのである。

 というわけで、あと1年で「3周目の23歳」が終了して70歳になるので、大学はあと1年、『インタレスト』もあと2号で終了して、2026年からは新たな「4周目の23歳」に突入する計画である。ま、4周目は23年もないだろうし、さすがに4周目は「突入」というほどの勢いはないと思うが(笑)。

 さて、その『インタレスト』は今、編集長に亀井涼花、副編集長に亀井侑輝と平松宥人、以下3年17人、2年16人に4年15人が大役を終えてサポートに回るという体制で、次号の予選を通過した9本の企画案の情報収集に取りかかったところである。ただし、まだそれぞれの企画案の編集について切り口の決め手が見つかっていないため、この時期毎度のことであるが、生みの苦しみの真っ最中である。そこで、この週末、金、土、日のどこかで、峰山にでも登りながら編集の方向性を考えることにした。で、本日金曜日の朝、老人力を発揮して朝6時に起きたのに、早朝の峰山に行くかどうか、ちょっと迷ったのである。

 私は峰山(紫雲山と尾根伝いにつながる石清尾山)に登るのはたいてい早朝であるが、標高230mぐらいの2つの山のどっちかに登ってそこから尾根伝いにもう一つの山に行って帰ってくるのにだいたい2時間半~3時間ぐらい、歩数にして1万5000歩~2万歩ぐらい歩くので、毎回出発前にはちょっと億劫になって、行くか行かないかちょっと躊躇するのである。けどまあ運動不足の日々はちょっとでも解消した方がいいと思うし、一旦出発すると踏ん切りが付いて、考え事をするのには机にかじりついているよりいいし…ということで、とにかく「この週末に1回は行こう」と決心した。

 そこで、日曜日は万が一のための予備日とすることにして、「今日(金曜日の朝)行くか、明日(土曜日の朝)行くか」の2択になったのであるが、6時過ぎにちょっと新聞を読んだりしながらグズグズしていたら怠け心が出てきて、気持ちは90%ぐらい「明日行く」という方向に傾いた。しかし、そうこうしているうちに全身がだんだん“起きて”きたのか、ちょっと「行く気」が出てきた。よし、とっとと行こう。「明日からダイエットする」言うてるやつの結果を見聞きした限りで言えば、たぶん「明日行こう」というのはいろんなことがダメになる可能性が高い(笑)。

 私は意を決して山歩き服に着替え、ペットボトルのお茶を持ち、ポケットにスマホと100円玉を5枚入れて朝6時40分、ようやく白みかけた空を確認して家を出た。ちなみに何で「100円玉を5枚」かというと、こないだ峰山に向かった時、家に適当な飲み物がなかったので自販機で買おうと思って500円玉を1枚持って出かけたら、山に入るまでにあった自販機5台全部が500円玉を受け付けてくれず、仕方なくずいぶん遠回りして英明高校のそばのコンビニまで行って飲み物を買うはめになったからだ。あの時の500円玉をあとで確認したら「令和3年」と刻印されていたのだが、よく知らないが、新し目の500円玉は自販機で受け付けてくれんのか? 

 というわけで万全の装備で家を出て、まずは「キリンに登らせたら後転するぞ」いうぐらい急勾配の「花樹海」に向かう坂道を半分登って東側に下り、石清尾神社の下を通って百舌坂の登り口あたりから紫雲山の山の中に入り、今日はきつい方の坂を登って山頂まで行き、一旦尾根を下り、また急な山道を上り、そこから尾根伝いに古墳や桜並木を越えて、脇道の細い参道に入ってみた。何年か前にこの道を通った時は途中に小さな池があったのだが、今はもう水がなくなって、底の泥がものすごくこねくり回されている。何でこねくり回されているのかについては、素人の私でも想像が付く。あそこは今、明らかにイノシシの「ぬた場」になっているのだ。

 で、真新しくこねくり回された「ぬた場」の横を通って、そこからさらに山道を進んで石清尾山の先端の展望台まで行って一服して、峰山公園あたりまで帰ってきた。実は何号か前の『インタレスト』の「ザワつく!注意書き看板」という特集で県内のいろんな注意書き看板を紹介した時、峰山公園周辺に10ヵ所以上設置されている「犬を散歩させる時は、引き綱を短めにし、フンは持ち帰りましょう」という立て看板の「綱(つな)」の時が全部「網(あみ)」になっているのを写真付きで載せたのだが、今、全部の看板の「網(あみ)」の字の上に「綱(つな)」という字が貼られている(笑)。素早い対応、恐れ入ります。というか、本に載せずにそっと知らせて上げた方がよかったですか(笑)。すみません。

 などという小ネタもいろいろ発見したり確認したりしながら、2時間半のハードなウォーキングを終えて帰宅し、シャワーを浴びて朝食を摂って午前10時過ぎ、さて仕事にかかろうと思って仕事部屋に入って、そこにかかっている1月のカレンダーを見て「あ、1月は今日で終わりや」と思って1枚めくって2月を開いて、息が止まった。2月1日の所に書かれていたのは、

「9:00 FM香川」

 えーっ! 明日の朝、『うどラヂ』の収録か! 危ねー!!!!!!!! 

 今朝、弱気の虫が勝って「峰山は明日にしよう」となっていたら、土曜の朝9時過ぎに、たぶんごんかH谷川君か谷本姉さんかディレクターの鍛冶君から電話がかかってきて、「9時から収録ですけど、もうこっちに着きます?」とか言われて、「すまんけど、峰山から電話で出演さしてくれ」言わないかんとこやった。危ねー!!!!!!!! 

原稿終わった! けど…

 こないだコピーライター引退中のT山が「年が明けて半月以上経つというのに日記が沈黙しているということは、12月中に上げると豪語していた『超麺通団5』の原稿が終わってないのではないか」というリンカーン・ライムも脱帽するような鋭い推理をメールで送ってきたが(誰でも想像つくわ)、ここで政治家なら「国民の皆様にご迷惑とご心配をお掛けしましたが」と言うところ、しかし大方の国民の皆様は誰も迷惑を被ってないし心配もしてないことからすると私の場合も誰も心配していないことは明白なので(笑)、とりあえず報告だけしておく。

 昨日の16日(木曜日)、終わった。

 1行35字×2800行=9万8000字、およそ10万字。もう、ロビン・ウィリアムスもボードゲームでえらい目に遭いそうなぐらいの文字数の原稿を(「そら『ジュマンジ』や!」というツッコミ担当はごん)、12月の頭から約1カ月半で書いた。おそらくN日本出版社のU山さんも、「12月いっぱい目標って言うてはみたけど、できるわけがないわな。けどまあ言うとかんかったら動かんおっさんやし、ほっといたら『12月いっぱいとは言うたけど、何年の12月かは言うてない』とか言い出すからな」ぐらいに思っていたに違いないが、ふっふっふ、ふが3つ(これで石鹸のCMが頭に浮かんだ人は私の仲間だ)、私は、やる時はやることがあるのだ(ちょっと弱いな)。

 というわけで16日の朝、6:20に家を出て7:00に「宮川」で朝うどんを食べて7:30に大学の研究室に入って、最後の締めの原稿に取りかかって、10:05から授業を2本やって12:40頃に研究室に帰ったら、U山さんから「どんな感じですか?」という明らかに「まだできてないやろけど」みたいなニュアンスがプンプンするメールが入っていた。そこでプチスイッチが入った私は、メシも食わずに昼休みの30分ぐらいで締めの原稿を上げて、「推敲してませんけど、とりあえず最後まで行きました」いうてファイルを添付して返信したのである。

 で、そのまま13:20から本日3本目の授業をやって研究室に帰って残務をしていたら、前編集長の佐野がやってきたので、私は原稿アップの高揚が冷めやらないまま、社会人教育の一環として「私が『超麺通団5』の原稿をいかに超人的なスピードで書き上げたか」を、11月頃からの経緯を含めて事細かく報告してやった。すると、ずっと相づちだけで聞いていた佐野が最後に一言、

佐野「でも締切は守れなかったんですよね」

って。ほんまにもう、あれだけドラマチックに話してやったのに、本質を見失わんやっちゃ(笑)。

 という怒涛の木曜日を終えて昨日、プチ油断モードで久しぶりに「ゆめタウン」の魚屋…でなくてペットショップの熱帯魚コーナーで魚と水草とコケ取りを買って、「アンデルセン」でミルクフランスと食パンを買って店を出ようとしたら、U山さんから「読みました」いうて電話がかかってきた。

 実は去年の12月の終わり頃、1回「どんなですか?」いうメールが来た時に第一部の1200行ぐらいを送ったのであるが、今回は店の探訪記ではなくて、笑いどころはあまりないがデータやファクトや考察を中心に入って行くという、「私も歳を取ったけど成長したぞ」というテイストの入り方をしたため、「ちょっとどうかな?」という不安は少なからずあったのである。それが、「めちゃめちゃおもしろいです」いう返事が返ってきてたので、調子に乗ってそのまま「今日の讃岐うどん」まで突っ走って、「しかし笑いどころがないと麺通団じゃない」ということで後半は私とごんとH谷川君が跋扈するという、まるで『太平記』のような構成でまとめてみた。で、まだ推敲はしてないけど「まあまあおもしろい構成になったんちゃうか?」と思いながら、昨日最後まで送ったばかりなので、U山さんから「早い! おもしろい!」というリアクションが返ってくると期待していたのである。ところが、何と、電話は「『恐るべき』テイストの店探検レポートも読みたい」という、欲張りな相談であった。

 私は電話をしながらそのまま駐車場に歩いて行って、家内は車の助手席に乗り込んで、私は車の外でU山さんとあれこれ意見交換をしつつ5分、10分…。家内から「車の中におっても聞こえるからもっと小さい声でしゃべり」と怒られながら(笑)、結局まとまった話は、「『太平記』版と『探訪記』版、2冊同時発売しますか?」というトンデモ企画。どうすりゃ、これ。

産業道路の奇跡

 先週の木曜日の夕方5時半頃だったか6時頃だったか、善通寺からの帰りに高松西インターを下りて片側2車線の産業道路の中央寄りの車線を北に走っていたら、いつも車間距離を十分に空けて走っている私の車の前に、テールランプがイカの形をしたプリウスが入ってきた。この時間になると特に、あのイカプリウス、略称「イカプリ」(知人の所有者談)のテールランプの赤いイカ形は目立つのであるが、それでもまあ一時ほどは見かけなくなったような気もする…と思いながら走っていたら、前の信号が黄色になって、私の前のイカプリが先頭で止まって、その後ろに私が止まって、左側の車線の車は黄色で2台が交差点を突っ切って、その後ろから来た3台目の車が先頭で止まったのを見たら、真っ赤なイカ形のテールランプ! イカプリやないか! 私の前にイカプリ2台の壁ができた! それを見た瞬間、私の頭の中で天の声が聞こえました。

「イカ2貫」。

 私、一人で運転してたけど、ちょっと声が出ました(笑)。奇跡か? 奇跡と言うほどではないか。スマホは手の届かない後部座席の鞄の中なので写真は撮れなかったが、撮るほどのことではなかったか。ないわな。

 などという小ネタしか書けないぐらい今、原稿に追い込まれ中である。