団長日記

原稿終わった! けど…

 こないだコピーライター引退中のT山が「年が明けて半月以上経つというのに日記が沈黙しているということは、12月中に上げると豪語していた『超麺通団5』の原稿が終わってないのではないか」というリンカーン・ライムも脱帽するような鋭い推理をメールで送ってきたが(誰でも想像つくわ)、ここで政治家なら「国民の皆様にご迷惑とご心配をお掛けしましたが」と言うところ、しかし大方の国民の皆様は誰も迷惑を被ってないし心配もしてないことからすると私の場合も誰も心配していないことは明白なので(笑)、とりあえず報告だけしておく。

 昨日の16日(木曜日)、終わった。

 1行35字×2800行=9万8000字、およそ10万字。もう、ロビン・ウィリアムスもボードゲームでえらい目に遭いそうなぐらいの文字数の原稿を(「そら『ジュマンジ』や!」というツッコミ担当はごん)、12月の頭から約1カ月半で書いた。おそらくN日本出版社のU山さんも、「12月いっぱい目標って言うてはみたけど、できるわけがないわな。けどまあ言うとかんかったら動かんおっさんやし、ほっといたら『12月いっぱいとは言うたけど、何年の12月かは言うてない』とか言い出すからな」ぐらいに思っていたに違いないが、ふっふっふ、ふが3つ(これで石鹸のCMが頭に浮かんだ人は私の仲間だ)、私は、やる時はやることがあるのだ(ちょっと弱いな)。

 というわけで16日の朝、6:20に家を出て7:00に「宮川」で朝うどんを食べて7:30に大学の研究室に入って、最後の締めの原稿に取りかかって、10:05から授業を2本やって12:40頃に研究室に帰ったら、U山さんから「どんな感じですか?」という明らかに「まだできてないやろけど」みたいなニュアンスがプンプンするメールが入っていた。そこでプチスイッチが入った私は、メシも食わずに昼休みの30分ぐらいで締めの原稿を上げて、「推敲してませんけど、とりあえず最後まで行きました」いうてファイルを添付して返信したのである。

 で、そのまま13:20から本日3本目の授業をやって研究室に帰って残務をしていたら、前編集長の佐野がやってきたので、私は原稿アップの高揚が冷めやらないまま、社会人教育の一環として「私が『超麺通団5』の原稿をいかに超人的なスピードで書き上げたか」を、11月頃からの経緯を含めて事細かく報告してやった。すると、ずっと相づちだけで聞いていた佐野が最後に一言、

佐野「でも締切は守れなかったんですよね」

って。ほんまにもう、あれだけドラマチックに話してやったのに、本質を見失わんやっちゃ(笑)。

 という怒涛の木曜日を終えて昨日、プチ油断モードで久しぶりに「ゆめタウン」の魚屋…でなくてペットショップの熱帯魚コーナーで魚と水草とコケ取りを買って、「アンデルセン」でミルクフランスと食パンを買って店を出ようとしたら、U山さんから「読みました」いうて電話がかかってきた。

 実は去年の12月の終わり頃、1回「どんなですか?」いうメールが来た時に第一部の1200行ぐらいを送ったのであるが、今回は店の探訪記ではなくて、笑いどころはあまりないがデータやファクトや考察を中心に入って行くという、「私も歳を取ったけど成長したぞ」というテイストの入り方をしたため、「ちょっとどうかな?」という不安は少なからずあったのである。それが、「めちゃめちゃおもしろいです」いう返事が返ってきてたので、調子に乗ってそのまま「今日の讃岐うどん」まで突っ走って、「しかし笑いどころがないと麺通団じゃない」ということで後半は私とごんとH谷川君が跋扈するという、まるで『太平記』のような構成でまとめてみた。で、まだ推敲はしてないけど「まあまあおもしろい構成になったんちゃうか?」と思いながら、昨日最後まで送ったばかりなので、U山さんから「早い! おもしろい!」というリアクションが返ってくると期待していたのである。ところが、何と、電話は「『恐るべき』テイストの店探検レポートも読みたい」という、欲張りな相談であった。

 私は電話をしながらそのまま駐車場に歩いて行って、家内は車の助手席に乗り込んで、私は車の外でU山さんとあれこれ意見交換をしつつ5分、10分…。家内から「車の中におっても聞こえるからもっと小さい声でしゃべり」と怒られながら(笑)、結局まとまった話は、「『太平記』版と『探訪記』版、2冊同時発売しますか?」というトンデモ企画。どうすりゃ、これ。

産業道路の奇跡

 先週の木曜日の夕方5時半頃だったか6時頃だったか、善通寺からの帰りに高松西インターを下りて片側2車線の産業道路の中央寄りの車線を北に走っていたら、いつも車間距離を十分に空けて走っている私の車の前に、テールランプがイカの形をしたプリウスが入ってきた。この時間になると特に、あのイカプリウス、略称「イカプリ」(知人の所有者談)のテールランプの赤いイカ形は目立つのであるが、それでもまあ一時ほどは見かけなくなったような気もする…と思いながら走っていたら、前の信号が黄色になって、私の前のイカプリが先頭で止まって、その後ろに私が止まって、左側の車線の車は黄色で2台が交差点を突っ切って、その後ろから来た3台目の車が先頭で止まったのを見たら、真っ赤なイカ形のテールランプ! イカプリやないか! 私の前にイカプリ2台の壁ができた! それを見た瞬間、私の頭の中で天の声が聞こえました。

「イカ2貫」。

 私、一人で運転してたけど、ちょっと声が出ました(笑)。奇跡か? 奇跡と言うほどではないか。スマホは手の届かない後部座席の鞄の中なので写真は撮れなかったが、撮るほどのことではなかったか。ないわな。

 などという小ネタしか書けないぐらい今、原稿に追い込まれ中である。

目薬を1本、使い切ったぞ。

 もう30年以上も前の話であるが、20代後半から近視が入ってきてそのまま30代の中盤になったある日のこと。高松市街地の国道を中新町の交差点から東に向いて車で走っていた時、田町にあった大きなセントラルビルをふと見たら、ビルの上の方が道路側に微妙に湾曲して傾いていたのである。まさかと思ってその日はそのまま通過したのだが、数日後、同じ道を走っていてもう一度見たら、やっぱり上の方が道路側にちょっと傾いている。そこで私は、「よろず相談所」に相談することにした(何じゃそりゃ)。

 「よろず相談所」は、私がやってたタウン情報誌で連載していた「読者からのしょーもない相談に全力で応える」というコーナーで、初代所長は当時社員だった「キノスク(現麺通団員S原、名前に「楠」の字が入っているのでひっくり返して通称になった)」。そこで扱っていた読者の相談は、例えば「東讃の山の上に毎晩、緑の光が見えます。調べてください」という依頼を受けて取材班が真っ暗な山に登り、それらしき光源を発見して、それを板で覆ったり外したりして、それを遠く離れた街中にいる別のスタッフが「緑の光」が見えたり隠れたりするのを確認して解決したり、「鬼無町の高松西高のそばの池に、謎の生物“キナッシー”が出没します。調べてください」という依頼を受けて調査団を派遣し、ついにその正体を暴き出して本誌で紹介したらそれが四国新聞にまで載ったり…と、まあ私らがやってたタウン誌だからありきたりではなくて、ちょっとどうかしてるというか、読者から「香川の雑誌版『探偵ナイトスクープ』」みたいな評価を受けていたオバカ連載企画である。で、その「よろず相談所」に編集長の私が「田町のセントラルビルの上の方が道路側にちょっと傾いていると思うのですが、調べてください」というお便りを出して、「相談依頼のお便りに割り込ませろ」という指示を出したのである(何ちゅう編集長や)。

 すると、それを受けて直ちに、キノスク所長が動いた。ま、編集長命令だから動かなしゃーないのだが、段取りはこうだ。まず、セントラルビルに電話で事情を話して許可をもらい、無風の日にビルの一番上の階の道路側の部屋に入れてもらう。しかるのち、そこから窓を開けて、ヒモの先に5円玉だったか何だったか重りをくくりつけて窓から下ろし、そのヒモの先の重りが下の方でビルの壁から離れたら、ビルが傾いていることが物理的に証明されるという、シンプルかつ異論の余地のない完璧な実験調査を決行したのである。その結果、セントラルビルは完璧に垂直に立っていることが証明された(当たり前じゃ)。

 で、どうしても納得のいかない私は眼科に行ってみたところ、乱視が発覚したのである。

 その後、40代のいつ頃からだったか老眼が入り始め、50代後半には遠近両用眼鏡を使い始め、そいつも何度かレンズの度数を悪い方に変えながら、今日に至っている。その間、目がぼやけたり薄いカーテンが下りたみたいになったりする度に目薬を1~2滴差していたのだが、月に数回とか年に数回、数滴ずつ差していたぐらいでは、目薬がなかなか減らない。そのうち「これ、いつ買うた目薬や」いうのが何度もあって、あんまり古いのを差すのも怖いので捨ててまた新しいのを買って…みたいなことを繰り返して、これまで私はただの一度も目薬を使い切ったことがなかったのである。

 それがこないだ、また目の調子が悪くなってきたので目薬を探したら、またかなり古そうなのが出てきた。そこで、意を決してそれを捨てて、新しい目薬を買おうと思ってドラッグストアに行って、すごい種類が並んでいる中から、選ぶ決め手がわからないので大谷翔平が勧めているみたいなやつを1つ買って帰った(なるほど、こういう客がいるから有名人をCMに遣うのか・笑)。で、目薬を差す前にチラッと説明書に目をやったら、「用法・用量」のところに「1回1~2滴、1日5~6回点眼してください」と書かれていたのが目に入ったのである。

 えーっ! 目薬って、1日5回も6回も差すのか! というか、今頃気がついたんかい!

 それから私は1日5~6回、週3~4回ぐらいのペースで目薬を差し始めた。そしたら先日、生まれて初めて、齢(よわい)68歳、年明けてすぐ69歳の中期高齢者になって初めて、「目薬を1個、使い切る」という快挙を達成したのである。

 ちなみに、そのペースで目薬を差し続けた結果、夜中に仕事の途中でベランダから見える女木島の灯台の光が、今までタテに2つ見えていたのが1つに見えるようになりました。やっぱり大谷翔平はすごいですー。

…という話だが、オープニングのエピソードに比べてちょっとオチが弱いか。