栗林公園~松下ライン

 こないだの木曜日の昼、13:30頃に高松の太田あたりで用事が済んだので「うどんを食べて帰ろう」と思って、14:00前という微妙な時間なのでほぼ間違いなくまだ開いてそうな四国新聞社の裏の「松下」に向かった。中央通りを南から北に向かって走り、栗林公園の横に来たら、平日の14:00前だけど夏休みバージョンなのか、観光客らしき人たちが結構歩いていた。信号待ちの間、公園前の歩道を北に向かって歩く人たちを眺めていたら、何となく中国人か韓国人に見える6~7人のグループが公園の北の高徳線の下を越えて、そのまま中央通り沿いに北上するのかと思ったら、斜め左の路地に入っていくのが見えた。「そっちへ行くのか…」と思いながらこっちは車で中央通りを真っ直ぐ北に進んで、四国新聞社の手前の路地を左折して、次の路地の交差を右折して、ちょっと走って「松下」の駐車場に車を停めて、店に入った。

 店内には先客が5人。店の奥で女将さんが手を振った。

女将「いらっしゃい」
田尾「お変わりないですか?」
女将「今年の8月はもうむちゃくちゃ。1日に1000人ぐらい来た日もあったで。もうみんなヘトヘトよ(笑)」
田尾「どしたんですか」
女将「どしたんかわからんけど、10人来たら8人ぐらいが韓国や中国のお客さんや。何か飛行機がどないかなったん?」
田尾「そういや、4月頃に上海便が再開したとか、こないだ7月は韓国便が増えたとか言いよったような気がするけど、そんなに来よんや」
女将「ほんでもまあ、片言で何とか通じよるけどな」

 ふと見ると、横の壁に英語の案内表示みたいなのが貼られているではないか。ブーム以降、讃岐のうどん店へ来る外国人観光客が増えてあちこちのうどん店で外国語表記の貼り紙がずいぶん増えたが、あの「松下」に外国語表記が出たら、もう時代は完全にインターナショナルだ(笑)…と思って周りを見たら、先客の5人のうち確実に4人は、中国人か韓国人か私には判別が付かないが、日本人ではないぞ。

 そこへ、新たに6人のグループが入ってきた。見ると、さっき栗林公園の先で見た中国人か韓国人に見えるグループだ。うわ、あっという間に「松下」の店内が「11人中9人が韓国人か中国人」という状態になったじゃないか! こんな状況は、16年前に四国学院の交流事業で韓国に行って大田(テジョン)市のうどん店で「カルグクス」を食べた時以来だ。というか、これ、栗林公園に来た観光客がそのまま歩いて「松下」に来よんか。何の情報か知らんけど、あのあたり、そんな流れができてるのか。

 というわけで、いつものように「かけ大」に丸天1つ取って、おなじみの濃い目のインパクトのあるダシに細かいネギと細雪のような天かす(細雪を見たことはないが)をかけて食べ始めたら、やっぱり、ええ麺が出とる。「松下」は今、二代目の大将が主要工程を担っているのであるが(初代大将も時々見るので、全面的に二代目に移行したのではないかもしれないが)、明らかに初代とはちょっと違う、伸びを抑えてシュッとして引き締まった、私の40年を超える“松下人生”の中でも記憶にないような、なかなかの細麺を出している。想像するに、玉売りが多かった時代は納め先で時間が経つのを想定してちょっと固めに作っていた感じが、食べに来る客をメインにしてちょっとしなやかさを出してきたみたいな変化である。それがこの日はさらに洗練されて非常にええ感じだったので、二代目大将と女将さんに「これ、父ちゃん(初代)を超えたわ(笑)」と言ったら、「ありがと」と言った奥さんと二代目の奥で、大将がチラッと顔を出した(笑)。

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 それにしても、讃岐うどん界における「細麺」は、ブーム以前に比べるとすっかり“市民権”を得てきた感がある。大まかな印象で整理すると、まずブームが勃発する以前、1990年代中盤あたりまでは、わずかに琴平の「細切りざる」で知られる「おがわうどん」(一般店)や栗林駅のそばの「松家」(製麺所型店)などの「太麺と細麺が選べる店」が数軒あったぐらいで、「細麺専門」のうどん店はほとんど見当たらなかった(私の大好きな田舎風細麺の代表格である観音寺の柳川も、当時は今よりちょっと太かったような記憶がある)。といっても「ゲリ通」を始めてまだ5~6年あたりだから、私もまだ網羅的には情報収集してない頃の印象なので他に細麺の店があったかのもしれないが、いずれにしろ、讃岐うどんといえば中太麺か太麺が断然主流で、細麺はあくまでも“イロモノ”というか、「ちなみに」といった感じのポジションだった…というのが「第1の局面」である。

 それが少し動き始めた「第2の局面」は、ブームが到来して県内のうどん店に県外客が殺到し始めた1990年代終盤から2010年あたりまで。この時期、私は取材の中で何軒かの人気一般店から「あまりの行列にお客さんを待たせすぎるのが気の毒で、ゆで時間をちょっとでも短縮するために麺をちょっと細めにしてみた」という話を聞いたが、実際、麺が1990年代初頭より少し細くなった店は何軒もあり、「微妙に細く…」みたいな店も含めて、讃岐うどん全体が平均して数%ぐらい細くなってきたような印象があった。

 あと、当時の『うどラヂ』でも紹介したが、ある日の朝、6時過ぎに「宮川」に行ったら大将がまだうどんを作り始めたばかりで、聞いたら「夜釣りに行っとったら遅なってしもてごめんなー」とのことで、そのうち工事現場に行くらしい兄ちゃんも何人かやって来て、それを見た大将が「早よゆで上がるようにちょっと細めにするけどええな?」言うて、私も兄ちゃんも「いいですよ」と返事したら珠玉の細麺が出てきたことがあるように、臨機応変に細麺にしてくれる大将もいたようである(笑)。

 そして「第3の局面」は、2010年頃以降。2010年に発行した『超麺通団4』の冒頭で「細麺NEW WAVE」の特集を組んだように、田舎風細麺や軟体腰の細麺から、縮れ系細麺、はかない細麺、強靱な細麺、美しい細麺…等々、いろんなバリエーションの「細麺」を売りにした店が出てき始めて今日に至る…という時代である。そこに今、「松下」が「伸びを抑えてシュッとして引き締まっているのにしなやか」という新たな差別化された細麺を引っ提げて再登場したというわけだ。いや、大将は「引っ提げている」つもりは全然ないと思うので(笑)、マニアックな昭和の“麺食い”のおっさんの勝手な雑感であるが。