めっちゃすごーい! やばーい!

 夕方5時半からNHK-BSで「驚異の庭園」の再放送があって、あれは確か1年以上前に放送を録画してじっくり見て「よし、もう足立美術館のことは全てわかった」ということで録画を消していたのだが(ま、「お前に足立美術館の何がわかる」ではあるが)、「老人力」というのは番組でも映画でも本でも「一定期間を置くと常に新鮮な気持ちで見られる」という利点があるわけで、「これは見ないかん」と思ってまた見たのである。ちなみに、私の本棚に全作品が揃っているのは「ジェフリー・ディーヴァーのミステリー」と「井沢元彦の逆説の日本史」と「ナンシー関の文庫」の3つだけであるが、どれも2~3年ぐらいインターバルを空けたら、2回目でも3回目でもほぼ最後までワクワクしながら読めるからたまらない(笑)。ここ、(笑)じゃなくて(泣)を入れるべきかもしれんが。

 で、「驚異の庭園」は、アメリカの日本庭園専門紙が選ぶ「素晴らしい日本庭園ランキング」でランキング始まって以来21年連続で1位に選ばれた島根県の「足立美術館」と、同じく2位を続けている京都の「桂離宮」の庭師さんたちを追ったドキュメント番組である。私は、県外の美術館で2回行ったのは「足立美術館」と「大塚国際美術館」だけで、そのうち「大塚美術館」は「あの膨大な名画たちをもう一回見たい」ということで行ったのだが、「足立美術館」は「横山大観の絵をもう一度見たい」ではなくて「あの庭園を違う季節にもう一回見たい」という目的で行って、しかし四季の全部を見に行く暇がないので、あの何千円かする四季折々の写真が載った庭園写真集も買ったぐらいの、感動の庭園である。そこで、再放送で庭師のドキュメントの内容もうっすらと覚えてはいるものの今は急な締切を抱えていない時期なので、ソファに寝っ転がって番組を見ていたのである。

 番組は1時間半。「足立美術館」と「桂離宮」が交互に出てきて、その素晴らしさと庭師さんの職人技とこだわりが次々に紹介され、外国人のガーデン好きのご夫婦の物語も挿入され、エンディングが近くなって「足立美術館」の庭園の四季折々の庭の植木の手入れがクライマックスを迎え、最後にいよいよ紅葉の秋を最高に見せる完璧な手入れが完成。そして、その素晴らしい庭園を見る回廊に多くのお客さんが入ってきた。ところが、そこに写った二人連れの女性客が挙げた声が、これ。

「うわー、めっちゃすごーい!」
「やばーい!」

 しかも、画面に「めっちゃすごい」「やばい」のテロップまで出た!

 「あのドキュメントの最後にあれはないぞ! 番組の品位をぶち壊しじゃないか!」と一瞬思ったのであるが、いや待てよ。天下のNHKの、しかもあの品のあるテイストのドキュメント番組を作るようなスタッフが、そのシメに来て「めっちゃ」とか「やばい」とかいう表現を、しかもテロップ付きで出すわけがないではないか。しかし、出してしまったぞ。

 私は、「何だ、どうしたんだ?」と思いながら続きを見た。すると、間に短い一くだりが入った後、今度はポーランドから来たという男性が同じ場所で庭園を見て、「これはまるででイリュージョンだ」みたいなコメントを発した。

 なるほど、そういうことか。これは、対比でわざと出したに違いない。あの素晴らしい庭園を見て、息を呑んで感動に言葉を失うでもなく、何か表現する言葉を探すでもなく、何でもすぐに「めっちゃ」とか「やばい」とか言ってしまう人が増殖している日本人の風潮に一石を投じたいという、あれは制作者の意図の表れではないのか。もしかすると、サクラを使って言わせたという可能性すらあるのではないか…と、勝手に深読みをしてしまったのであるが、再放送なのにそれぐらいインパクトのあるシーンを覚えていないという、いや、たぶん以前見た時も同じツッコミをしていたような気もしてきたが、それも忘れているという「老人力」でもある(笑)。

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 ついでに思い出したのでもう一つ、私のビジネス分析やロジカルシンキングの師匠であり、自他共に認める食通でもあるTさんが現役時代、フランス人とアメリカ人の知人と3人でとっておきの料亭に行った時のことである。出てくる料理がことごとく素晴らしいので、Tさんとフランス人の知人が「これは○○の○○が素晴らしい」「食感がまるで○○のようだ」「この食材の奥から湧き上がってくる香りに○○のような強さがある」…等々、とにかく料理の素材や調理法や味付けやビジュアルを表現する言葉を駆使しながら味わっていたのだが、その会話にアメリカ人の知人が全く乗ってこない。そこでTさんが「君はどう思う?」と聞いたら、アメリカ人が一言、

「グレイト!」

と言ったそうである。いや、これはアメリカ人がどうのこうのという話ではなく、いやちょっとあるかもしれないが、T氏曰く、「日本とフランスと中国は、『料理』というものに対するうまいものを食べるための工夫と努力の歴史が世界の中で図抜けているため、料理を表現する言葉の種類と数も圧倒的に存在する。しかし残念ながらアメリカという国は、その点においては日本とフランスにはとても敵わない」とのことである。

 料理に限らず、「自然を愛でる」とか「わびさびを感じる」とかも含めて、見たもの、感じたものを人に伝えるためにいろんな言葉を駆使して表現する能力は、日本人が歴史的に培ってきた「世界に対する差別化された付加価値」の重要な一つの要素ではないかと、私もまあこの歳になってようやく感じるようになってきた次第である。とりあえず、『インタレスト』の授業では時々「めっちゃ禁止令」や「やばい禁止令」や、時には「すごい禁止令」なんかも出して、「その気持ちを表す他の表現を探せ」とかやってたりするんですが(「やってたりするんですが」というのも「やってるんですが」でいいようなものですが、わざと使っています)、まああと20年も経つと、こんなことにこだわる人はほとんどいなくなるんでしょうねえ。とりあえず、もうしばらく私は抵抗しますが(笑)。