先週、吉本興業文化人マネジメントのマネージャーから「朝日放送ラジオの『おはようパーソナリティ小縣裕介です』から電話出演の依頼があった」という連絡があった。内容を聞くと、「7月1日が『うどんの日』なので、それに絡めて7月2日の朝7時15分頃から15分間ぐらい、『讃岐うどん巡りブーム』の話をしてくれ」とのこと。まあそんなことならお安い御用なのでOKを出したら、放送前日の今日(1日)の朝10時半頃、リモートで簡単に打ち合わせをすることになった。
慣れないリモートをセッティングして、ほんまに慣れないのでマネージャーに電話で指示してもらいながらセッティングして、パーソナリティの小縣さんと30分ぐらいやりとりをした後、「後で当日の進行表を送ります」ということで打ち合わせを終了。夕方頃、その進行表がメールで届いたので見てみると、その冒頭のナレーション原稿にこう書かれていた。
「今日(7月2日)は『うどんの日』。香川県生麺事業協同組合が1日の半夏生にちなんで、制定しました」
うーむ、おそらくネットで調べた情報だと思うが、ちょっと日付が迷走してるぞ(笑)。確認してみると、「うどんの日」は7月2日で正解。で、半夏生は「夏至から数えて11日目」とあって、たいていはそれが7月2日なので「うどんの日」もそれに合わせて7月2日になっているそうだが、今年は何か暦の関係で7月1日が半夏生の日になっている…ということらしい。
そしてもう一点、「『うどんの日』は香川県生麺事業協同組合が制定した」とあるが、実はそれがちょっと怪しいことになっている。「なっている」というか、私が数人の仲間と行っている讃岐うどんの過去を発掘する「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の中でその怪しい事実を発見したのであるが。
まず、ネット内で「うどんの日」を検索すると、おそらくどこをどう探しても「香川県生麺事業協同組合が制定した」という記述しか出てこないと思う。なぜなら、行政や組合や組合員である大手うどん店のホームページにそう書いているからであって、その他、巷にあふれるブロガーの類の皆さんもその行政や組合等の情報を引用しているからである。そして、その「うどんの日」の制定年はどのサイトを見ても「1980年」と書いてある。
しかし、我々は「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の中の一企画で綿密なる新聞記事発掘作業をやっている途中、見つけちゃいました(笑)。香川県生麺事業協同組合が「うどんの日」を制定したとされている1980年の2年前、1978年の7月2日の四国新聞に、香川県と香川県観光協会が「7月2日(半夏)・うどんの日」と題して、でっかく全ページ広告を出しているではありませんか。
その広告紙面は「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の「新聞で見る昭和の讃岐うどん・昭和53年(1978)」の中に再掲してあるので間違いのない事実であるが、さて、この新聞広告と「1980年に香川県生麺事業協同組合が制定した」という今や定説となっている情報に、いかなる整合性があるのか? ちなみに1980年の新聞に「香川県生麺事業協同組合が『うどんの日』を制定」という記事は見当たらなかったが、そんな話を切り出したら番組がそれだけで終わっちゃうので、本番では触れないでおこう(笑)。