讃岐うどんに“妖しい”過去が?!

 讃岐うどんの「過去」を発掘編纂する「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」は今、

●「昭和の証言」………………高齢者の頭の中にある昔の讃岐うどんのシーンを聞き出す。

●「開業ヒストリー」…………老舗うどん店の創業時代の経緯を聞き出す。

●「新聞で見る讃岐うどん」…新聞のバックナンバーからうどん関連記事を徹底的に発掘する。

の3本を中心に展開していて、今のところ「昭和の証言」が300本、「開業ヒストリー」が19本、「新聞で見る」が昭和20年~平成30年まで収録されているのだが、その後、プロジェクトスタッフの萬谷君が個人的興味から明治時代の新聞発掘作業に手をつけちゃって、それを見たら意外とおもしろかったので、先月あたりから「新聞で見る明治の讃岐うどん」の編纂にかかっている。明治時代の香川県内の新聞は明治22年に四国新聞の前身である「香川新報」が創刊されたので「明治22年」からの新聞発掘であるが、昭和20年から平成30年までを終えた後、明治22年~昭和19年までを埋めるという、言うなれば『スターウォーズ』が「エピソードⅣ、Ⅴ、Ⅵ」と行った後で「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」をやるみたいな作業である(スケールがえらい違うが)。

 で、先月あたりから合間を見てそいつの編集作業に入って、まずは「明治20年代の讃岐うどん」をアップしたのだが、それなりに、まあまあおもしろいネタがいくつか出てきた。例えば、当時の新聞の“三面記事”みたいなところには、寸借詐欺とか痴話ゲンカとか、まあ下世話な小ネタがちょっと講談調に書かれているのだが、その記事の中に時々、事件の舞台として「うどん屋」が出てくる。具体的には、

(1)高松市の中心街あたりに出ている「屋台のうどん屋」。

(2)祭りの屋台に出店しているうどん屋。

(3)ちゃんと店構えをしていると思われるうどん店。

(4)「うどん」を出している食堂。

の4種類が確認されたのであるが、このうちの「ちゃんと店構えをしていると思われるうどん店」の描写がちょっと怪しい。すなわち、「うどん屋の奥座敷で逢い引きをしていた」とか「うどん屋の2階でいかがわしいことをやっている」とかいう記事や投書がいくつも出てくるのである。

 それを指摘したら、今度は萬谷君が「昭和の証言」の聞き取りで、昭和15年生まれの観音寺市のおじいさんから「昭和30年頃、三豊や観音寺の何軒ものうどん屋で売春をしよった」という衝撃の話を発掘してきた。曰く、「うどん屋に女給さんが何人かおって、普段は普通に店の給仕をしよんやけど、客と話ができたら店の2階に上がりよった」そうで、「昭和32年に売春防止法が施行されてから、一辺にみんなおらんようになった」とのこと。どうも明治20年代から昭和30年頃までの「うどん屋」には、ちょっと今では考えられないような形態が存在していたようである。

 ちなみに、何年か前に『うどラヂ』で「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の「新聞発掘」の話をした時、「新聞を発掘したら『どじょううどん』は長尾より前に飯山や仏生山でご当地グルメとして売り出されていた」という情報を紹介したら、番組に「新聞記事が正しいとは限りませんからね」という皮肉っぽい文章のお便りが来たことがある。

 「新聞記事が間違っていることもある」などというのは、当たり前の前提である。「新聞によると」という話も当然してある。その上で、「客観情報というのは、下手な噂話や個人の言い分等より新聞に書かれていることの方が、まあ事実に近いのではないか」という話をしていても、こういう歪んだ“悲しい思考回路”の反応をする人がいる。「いる」というより「あふれている」のがネットやSNSのおかげで可視化されている、という世の中である。

 「新聞記事が正しいとは限りませんからね」という指摘に対しては、「だからどうした」の一言である。こちとら、淡々と記事を拾って経緯を紡いでいくだけである…と書いてて「“こちとら”って、語源は何だ?」と思ったので調べてみると、自分のことを表す「こちと」に複数形の「ら」を付けて「俺たち」という意味になるらしい。しかし、「こち」は「自分」のことっぽいから「こち・ら」でいいような気もするが、「と」は何だ。「コチラ」では火を吐く怪獣みたいだからか? たぶん違うと思うが(笑)。