某按摩屋さんで、オリンピック記念キャンペーン実施中(笑)

 先日の夕方、日が傾いた18時頃から詫間の実家のお墓の掃除をしてきた。

 実家にはまだ手先と口が達者な母が一人暮らししているのだが、さすがに足腰は衰えているので、10年ぐらい前から毎年春と秋のお彼岸前に私か弟が墓掃除に行くようになっている。今年はまだお盆にもちょっと早すぎるかもしれないと思ったのだが、高松から詫間のお墓までは車で約50分かかるけど善通寺の大学からは10分ぐらいなので、大学に行ったついでに行っておこうということで、17時半頃まで研究室で仕事をした後、帽子と軍手とビニール袋とタオルと着替えのTシャツを持って、途中でダイドーの自販機を探して「ミウ・レモン&オレンジ」を買って、お墓に向かったのである。

 実家のお墓は共同墓地の中にあるのだが、かなり古い墓地なので「ナントカ霊園」みたいに1つ1つが石やブロックできちんと区切られてなくて、広い砂地が畑の畝みたいになっている。そこにお墓がたぶん500基以上、もしかしたら1000基近く立ち並んでいて、その中に私のひいじいちゃん夫婦のお墓とじいちゃん夫婦のお墓と父の墓が3基並んでいるのだが、その周りの砂地に草がエンドレスで生えてくるので、それを全部抜くのが私の墓掃除のメイン作業である。

 墓地の駐車スペースに車を停めて(まだお盆まで日があるためか、車は私1台だけだった)、備え付けのバケツに水をいっぱい入れて柄杓を取って、歩いて墓地エリアに入って我が家の墓に向かう。最初の頃は自分ちのお墓がなかなか見つけられなかったのだが、年に1~2回とは言えもう10年も続けて行っているので、この日は1回筋を間違っただけで見つかった(まだ間違ってるやん)。

 墓の周りを見ると案の定、数種類の草が一面に生えていたので、軍手をはめてしゃがんで手で抜き始める。砂地なのでわりと簡単に抜けるのだが、細くて小さい草(アッケシソウを極細にしたみたいな草)がいっぱい生えているので、なかなかの延々と続く連続作業ではある。抜いた草はビニール袋に全部入れて、それから墓石に水をかけて軍手でこすりながら汚れを落として、最後にお墓の周りの草が一掃された砂地を竹ぼうきできれいに均して、さらに美しく筋目を付けて竜安寺の石庭級に仕上げて、所要時間およそ1時間で終了した。

 そこから片付けをして、車で5分ぐらいの所にある実家に寄る。

田尾「お墓、竜安寺の石庭にしてきたで」

母 「ありがとな」

 毎年同じようなことを言っているので、ボケを拾ってくれん。

母 「あんた、体だけは気ぃつけときなよ」

田尾「どっちが言いよんな」

母 「私っしゃこし、いつ逝ってもええがな」

田尾「サイダーあるん」

母 「冷えてないのがそこにある」

田尾「これ、ゼロカロリーちゃうやん」

母 「ゼロカロリーはあんまりうもない(おいしくない)んや」

田尾「さよですか」

 それから凍らせたカットスイカを食べながら四方山話をちょっとして、「ほな」言うて高松に帰ったら、阪神が巨人に連勝していた。やっぱり、ええことをしたらええことが起こる(笑)。

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 …と思っていたら、翌日から「そんなとこに筋肉があったんか」と思うようなところが数カ所、筋肉痛になった。草抜きは峰山でもこんぴらの石段でも使わない筋肉を使うことが判明したが、そこで「この機に全身をほぐしとくか」と思って、約2ヵ月ぶりに行きつけの按摩屋さんに行くことにした。

 そこは目の悪い兄さんが1人でやっている按摩と針治療の店で、私はもう10年以上前から2~3ヵ月に1回ぐらいのペースで行っているなじみの店である。昨今、チェーン店のマッサージ屋さんがあちこちに増えていて、私もリラクゼーション的な意味でたまにそういう所に行くことがあるが、“芯”からほぐしてもらいたい時はやっぱり、しかるべき資格を持って長年研究と修業を積んでいる(と私が勝手に思っている)按摩の“職人”の所に行くことにしている。うどん屋で言えば、手軽でバラエティーな「大衆セルフ」のチェーン店と筋金入りの腕利きの大将がいる名店を状況に応じて行き分けているのと同じような使い方である。そして、後者の方は「なるべく顔なじみになって、より満足度の高い時間を過ごしたい」というのも同じような私のスタイルである。

 で、私はいつも「思い立ったら行く」という客なので、昼前に電話を入れてみた。

田尾「今日は時間、どんなです?」

按摩「今やってるお客さんが12時前に終わって、次は3時から入ってるんで、12時過ぎたら3時までの間は行けますけど」

田尾「昼ご飯は?」

按摩「僕、昼ご飯は食べないんで大丈夫ですよ」

田尾「ほな、12時過ぎに行きます」

 というわけで12時15分に行って、もうすっかりなじみの店なので、按摩が始まると同時にあれやこれやと与太話が始まった。

按摩「オリンピックは見てるんですか?」

田尾「中継はほとんど見てない。新聞で結果見るぐらいかなあ」

按摩「あんまり興味はないんですか」

田尾「まあ、特にアンチというわけではないけど。子どもの頃は熱心に見よったわ。何でか知らんけど、東京オリンピックだけいろんなことを覚えとる」

按摩「こないだの?」

田尾「いや、1964年の東京オリンピック(笑)。陸上男子100mの金メダルがボブ・ヘイズ。小学校の徒競走で『ボブヘイズ!』いうてスタートするやつが何人もおったのを覚えとる(笑)。

按摩「小学生ですからね(笑)」

田尾「あと、マラソンの金がアベベで、水泳男子100m自由形の金がショランダー、体操女子がチャスラフスカ、柔道の男子無差別級がヘーシンク、女子砲丸投げのタマラ・プレス、男子重量挙げがジャボチンスキー」

按摩「すごいですね、予習もしてきてないのに急にそんな名前がすらすら出てくるって。」

田尾「雑談の予習なんかせんわ(笑)」

按摩「それ、何歳頃の話ですか?」

田尾「僕が1956年生まれやから、8歳か」

按摩「小学校2年ぐらいですか」

田尾「けど今の小学校2年ぐらいの子を見てたら、好きなもんがあってのめり込んだらメチャメチャいろんなこと覚えとるで」

按摩「確かにそうですね」

田尾「あと覚えとるのは、オリンピックの走り高跳びで『背面跳び』が初めて出てきた時。メキシコだったと思うけど、フォズベリーいう選手が背面跳びで出てきて、最初は実況が“何だこれは!”みたいな反応やったんやけど、決勝に進んでどんどんバーをクリアして優勝したら称賛の嵐になったのを見た」

按摩「それまでは背面跳びじゃなかったんですか」

田尾「ベリーロールや。だから背面跳びは最初『フォズベリージャンプ』って言いよった。フォズベリーの愛称が『フォズの魔法使い』やったけど(笑)、みんなもう『オズの魔法使い』を知らんか」

 それから「メキシコの走り幅跳びで、高地で空気が薄かったからボブ・ビーモンが“空を飛んで”それまでの世界記録を一気に50cm以上更新して8m90cmも跳んだ」とか「解説とゲストと現地レポーターとワイドショーがはしゃぎ始めてからオリンピックをあまり見なくなった」とか、あれやこれやとオリンピック談義をしながら1時間の施術を終えたのだが、お金を払う時に、壁に新しい貼り紙があるのに気がついた。見ると、「期間中、針治療はすべて500円引きにします」という内容だったが、そのキャンペーン名が、

「ハリ五輪」

 なかなかやるやん(笑)。