「教(おしえ)なければ禽獣に近し」とか。

 コピーライター引退中のT山が、昨日の巨人戦の結果を受けて、ついに腑抜け状態になったらしい(笑)。ま、気候と連動して阪神にも阪神ファンにもようやく秋風が吹いてきたといったところであろうが、酸いも甘いもかみ分け知り尽くしてきた55年来の阪神ファンの私としては、これから何が起ころうと、あらゆる事態に対応できるような心の居場所だけは用意しているから大丈夫だ。

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 昨日は3連休の最後の日だったが四国学院大学は授業日だったので、夕方まで授業をして、軽く残務を片付けて、善通寺インターから高速に乗って帰路についた、その道中のことである。飯野山の横あたりを走っていたら、走行車線の前を走っていた軽自動車が何やらちょっとふらついている。時速85kmぐらいの高速にしては遅いスピードで、すーっと左の方に寄ったかと思うとあわてて右に戻り、しばらくするとまた左に寄り始めてまた慌てて右に戻ったので、「こんなやつの事故に巻き込まれたらいかん」と思って、追い抜くことにした。

 バックミラーで追い越し車線の後ろを確認すると、遙か後方に車が1台見えたので、これだけ開いてれば大丈夫だと思って追い越し車線に入る。時速100kmぐらいで追い越しにかかって、軽の横に来てチラッと見たら、やっぱり! 40代か50代ぐらいの兄ちゃんかおっちゃんがスマホを見ながら運転しよるやないか!

 「こんなやつからは早よ離れないかん」と思って、相手は85kmぐらいでこっちは100kmだからそのままスーッと追い越して、ちょっと距離に差をつけてウインカーを出して走行車線に戻ろうとしてチラッとバックミラーを見たら、うわ! さっき追い越し車線のあんなに後方にいた車がものすごい勢いで近づいてきとるやないか!

 私は急いで走行車線に入った。すると、間髪を入れず、後方の車が猛スピードで横を通過していった…と思ったら、そのすぐ後ろに「牽引しとんか!」と思うぐらいビターッと付けたもう1台の車がいた! たぶん、どこかで追い抜かれた車がお怒りモードになってビタ付けして追いかけているのだろう。

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 車を運転してると、何か人は普段以上に、ちょっとしたことでいきり立ったりムカついたりするらしい。この温厚な私だって(笑)、一昔前までは周りで乱暴な運転をされたり乱暴に割り込まれたりしたら多少はムカついていたのだが、この20年ぐらいは自分なりにメンタルトレーニングをしたり、余裕を持った移動を心がけたりしてきた結果、他人の理不尽な運転に対してもたいていは平常心でいられるようになってきた。

 それでも、あまりにひどいドライバーに対してはちょっとムカついて、半日ぐらい気持ちがブルーになることもないではない。数字で表すなら、穏やかな心を100とすると、一昔前は理不尽な運転に出くわした時に穏やかさが50ぐらいに落ちてたところ、メンタルトレーニングと余裕のある移動で落ちても90ぐらいに踏みとどまっているという感じであるが、こないだ山本七平の『人望の研究』を読んでいて、それが「98」ぐらいで踏みとどまれそうな気がしてきた。

 「教(おしえ)なければ禽獣に近し」って。孟子か誰かの言葉らしいが、「食べたいだけ食べ、着たいだけ着て、ぶらぶら暮らし、ただそれだけで教育がないとなれば、その人間は禽獣に等しいものである」と。また、「七情=喜・怒・哀・懼(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲=があるのが人間であるが、それを抑制できない人間は禽獣に等しい」と。

 ま、私なりの解釈だから原典の意味や山本先生の解釈とは違うところがあるかもしれないが、解釈の正誤はともかく、スマホの誘惑を抑制できずに「ながら運転」するやつとか、“怒”を抑制できずに高速で追い抜かれてムカッときて猛スピードで前の車にビタッと付けて追い回すやつとか、そういう類のやつのことを、私は「禽獣」だと思うことにしました(笑)。ほんで「禽獣に出くわしたらどうするか」と考えたら「禽獣に出くわした時のこっちの心の置き場所」がもう一つできて、もう一段階穏やかになれたような気がしている今日この頃です。ま、禽獣に出会うことはそうそうないので、ちょっと考えてみただけですけど。

 さ、ちょっとだけ日記に逃げたので、頑張って『インタレスト』の編集作業に戻ろう。