粟島の「ピンコロ地蔵」。

 なかなかキツイ筋肉痛に見舞われていたふくらはぎが、正確にはふくらはぎよりもその下部あたりのヒラメ筋痛が、10日ぐらい経ってようやく元に戻って普通に歩けるようになった。ちなみに、「ふくらはぎ」は「ふっくらしたはぎ」で、「はぎ」は膝から足首までの間のことで、「ヒラメ筋」の「ヒラメ」はシタビラメ、こっちで俗に言う「ゲタ」のことで、それに似た形なので「ヒラメ筋」と言うらしいが、そいつが筋肉痛になった原因は、10日ぐらい前に粟島の城山(じょうのやま)に登ったからである。

 何でそんなことになったのかというと、1カ月ほど前、高校時代のポン友の通称「ポン吉」君に誘われたからである…と書き始めて、「ふくらはぎ」と「ヒラメ筋」を調べたついでに「ポン友」を調べたら、えーっ! 「ポン友」は「ポンユー」という中国語由来の外来語だったのか!

 脇道に逸れまわったら話が進まんが、数十年にわたって染みついた私の習性で、そこが「ガンマGTP」でなくて「チャットGPT」に再現できない付加価値だから仕方がない。それで、9月28日の土曜日、私とポン吉と粟島にちょっとだけ詳しい竹内(中学、高校の同級生)のおっさん3人で、午前10時50分須田港発の、定員が80人ぐらいの車が1台しか積めないフェリーで、粟島に渡ったのである。

 行きのフェリーには、ほとんど若いもんばっかり30人ぐらいが乗っていた。何か近年、瀬戸芸をはじめ雑誌やSNS等で離島の粟島が時々紹介されているみたいで、その影響もあって、というかその影響しかないと思うが、土曜日のこの時間で大体そういうことになっているらしい。けど、粟島に着いてそこから徒歩で「城山」に向かったのは、我々3人だけであった(笑)。

 城山は標高222mの低山であるが、道中、ほとんど緩む道のない上り坂の連続で、誘ってきたポン吉が一番バテて、峰山に時々登っている私が一番健脚だったようだが、とりあえずほとんど休まず、たぶん30分以上かけて山頂に到着して、「ええ景色やなー」言うてたら昼になって、おにぎり1個食べて、帰りのフェリーの時間まで2時間ぐらいあったので、下りてどこかで時間を潰すことにした。

田尾「かき氷とか食える店、あったかのー。1軒、カフェみたいなのがあったけど、若いもんがいっぱい入っとったから、おっさん3人が行ったらちょっと辛いなあ」
竹内「昔来た時に、粟島の『海ほたる』か何かで活動しよった人がやっとる店があったような」
田尾「西山さんか」
竹内「おー、そうや。その西山さんはもう亡くなったんやけど、奥さんが引き継いでやっとったと思う」
田尾「え! 西山さん、亡くなったんか」
竹内「もう亡くなって何年もなるぞ」

 粟島の西山さんと言えば、昔、竹下登さんが「ふるさと創生」で日本全国の市町村に1億円ずつ配った時、詫間町で当時の横山町長がしかるべき人を集めて「1億円の使い途会議」をやったのだが、そこに呼ばれて行ったらメンバーに西山さんがいて、そこで知り合って以降何度かお会いしたことのある、上岡龍太郎にそっくりのエネルギッシュなおじさんであるが、亡くなってたのか。

 そこで山を下りて、とりあえず竹内の記憶頼りでその店を探すことにした。「海岸沿いの道からちょっと入ったところにあったと思う」ということで何度か迷いながらウロウロ歩いていたのだが、ようやく見つけたら、休みだった。というか、もう営業していないような佇まいだった。仕方なく海岸沿いの道に戻って、「さてどうするか」と相談していたら、角にあった駐在所から駐在さんが出てきて、こっちに近づいてきた。

田尾「あ、駐在さんがこっちに来るぞ」
ポン「怪しいおっさん3人組がウロウロしよるけん、職質に来よんや」
田尾「怪しいもん持ってないか?」
ポン「存在自体が怪しいが」

 などとボケあっていたら、駐在さんが声を掛けてきた。

駐在「あの、田尾さんですか?」
田尾「何でやねん!」

 何でこんな滅多に来ん離島でそんな人に出くわすんや(笑)。

駐在「あの、私、昔、『文化人講座』に投稿してたんです」
田尾「えー! 載りました?」
駐在「ほんの何回か」
田尾「ペンネーム、何?」
駐在「いや、覚えてもらえるほど載ってないんで(笑)」
田尾「じゃ、こっちも覚えてなかったら気まずいんで、詮索はここまでにしときましょう(笑)」

 などという立ち話があって、駐在さんと別れて3人は港の方に向かった。

ポン「田尾お前、ほんまにうかつなことできんのー」
田尾「うかつなことなんか、しよらんが」

 まあ、本人が誠実に生きてても気がつかんところで知らん間に誰かに嫌な思いをさせていることは多々あるだろうが、そこはそれで、何かあったらその場で謝るしかないが(笑)。

 それから仕方なく近くの施設とかで時間を潰して港に帰ったら、竹内が看板の誤字を見つけた。

竹内「これ、ピンコロ地蔵の下の説明書き、ところどころ字を間違ってないか?」
ポン「おー、『希望』の『希』が『布』になっとる」
竹内「その上の『輝く』も、『軍』の中の『車』のところが『東』になってないか?」
田尾「あ、ほんまや」
ポン「『健康』の『健』も縦棒が上に突き出てないみたいに見えるな」

…などと言いながら横の「ピンコロ地蔵」なるものを見たら、こういうふうになっていた。

竹内「これも『地蔵』の『蔵』の字がちょっと怪しいのー」
田尾「というかこれ、手前の瓶で1文字隠れとるけど、あの『コ』が隠れたらあそこに違う字を入れて読むやつが出てくるんちゃうか?」
ポン「あっはっは!」
田尾「これ、写真に撮ってO船に送ったら、あそこに絶対「サ」を入れるぞ」
ポン「間違いない(笑)」

 というわけで、午後2時50分発のフェリーに乗って須田港に帰った。帰りのフェリーは、60人ぐらいが乗っていた。「離島経済新聞」によると、粟島の人口は2015年に216人だったのが2020年に154人に減って、2023年は152人とある。人口は瀬戸芸の会場になって以降も増えてはないが、観光客はそういう感じになっているようだ。

***

 で、その城山に登った時の筋肉痛が2日後の月曜日にピークが来て、ピークが収まらないまま木曜日まで来て、金曜日から少しずつ収まりかけて、本日ようやく回復したという「老人力」レポートであったが、粟島から返った翌日、ポン吉からこんなメールが入った。

「『ピン○ロ地蔵クイズ』のO船君の回答はズバリ、『ピンサロ』でした。」