目薬を1本、使い切ったぞ。

 もう30年以上も前の話であるが、20代後半から近視が入ってきてそのまま30代の中盤になったある日のこと。高松市街地の国道を中新町の交差点から東に向いて車で走っていた時、田町にあった大きなセントラルビルをふと見たら、ビルの上の方が道路側に微妙に湾曲して傾いていたのである。まさかと思ってその日はそのまま通過したのだが、数日後、同じ道を走っていてもう一度見たら、やっぱり上の方が道路側にちょっと傾いている。そこで私は、「よろず相談所」に相談することにした(何じゃそりゃ)。

 「よろず相談所」は、私がやってたタウン情報誌で連載していた「読者からのしょーもない相談に全力で応える」というコーナーで、初代所長は当時社員だった「キノスク(現麺通団員S原、名前に「楠」の字が入っているのでひっくり返して通称になった)」。そこで扱っていた読者の相談は、例えば「東讃の山の上に毎晩、緑の光が見えます。調べてください」という依頼を受けて取材班が真っ暗な山に登り、それらしき光源を発見して、それを板で覆ったり外したりして、それを遠く離れた街中にいる別のスタッフが「緑の光」が見えたり隠れたりするのを確認して解決したり、「鬼無町の高松西高のそばの池に、謎の生物“キナッシー”が出没します。調べてください」という依頼を受けて調査団を派遣し、ついにその正体を暴き出して本誌で紹介したらそれが四国新聞にまで載ったり…と、まあ私らがやってたタウン誌だからありきたりではなくて、ちょっとどうかしてるというか、読者から「香川の雑誌版『探偵ナイトスクープ』」みたいな評価を受けていたオバカ連載企画である。で、その「よろず相談所」に編集長の私が「田町のセントラルビルの上の方が道路側にちょっと傾いていると思うのですが、調べてください」というお便りを出して、「相談依頼のお便りに割り込ませろ」という指示を出したのである(何ちゅう編集長や)。

 すると、それを受けて直ちに、キノスク所長が動いた。ま、編集長命令だから動かなしゃーないのだが、段取りはこうだ。まず、セントラルビルに電話で事情を話して許可をもらい、無風の日にビルの一番上の階の道路側の部屋に入れてもらう。しかるのち、そこから窓を開けて、ヒモの先に5円玉だったか何だったか重りをくくりつけて窓から下ろし、そのヒモの先の重りが下の方でビルの壁から離れたら、ビルが傾いていることが物理的に証明されるという、シンプルかつ異論の余地のない完璧な実験調査を決行したのである。その結果、セントラルビルは完璧に垂直に立っていることが証明された(当たり前じゃ)。

 で、どうしても納得のいかない私は眼科に行ってみたところ、乱視が発覚したのである。

 その後、40代のいつ頃からだったか老眼が入り始め、50代後半には遠近両用眼鏡を使い始め、そいつも何度かレンズの度数を悪い方に変えながら、今日に至っている。その間、目がぼやけたり薄いカーテンが下りたみたいになったりする度に目薬を1~2滴差していたのだが、月に数回とか年に数回、数滴ずつ差していたぐらいでは、目薬がなかなか減らない。そのうち「これ、いつ買うた目薬や」いうのが何度もあって、あんまり古いのを差すのも怖いので捨ててまた新しいのを買って…みたいなことを繰り返して、これまで私はただの一度も目薬を使い切ったことがなかったのである。

 それがこないだ、また目の調子が悪くなってきたので目薬を探したら、またかなり古そうなのが出てきた。そこで、意を決してそれを捨てて、新しい目薬を買おうと思ってドラッグストアに行って、すごい種類が並んでいる中から、選ぶ決め手がわからないので大谷翔平が勧めているみたいなやつを1つ買って帰った(なるほど、こういう客がいるから有名人をCMに遣うのか・笑)。で、目薬を差す前にチラッと説明書に目をやったら、「用法・用量」のところに「1回1~2滴、1日5~6回点眼してください」と書かれていたのが目に入ったのである。

 えーっ! 目薬って、1日5回も6回も差すのか! というか、今頃気がついたんかい!

 それから私は1日5~6回、週3~4回ぐらいのペースで目薬を差し始めた。そしたら先日、生まれて初めて、齢(よわい)68歳、年明けてすぐ69歳の中期高齢者になって初めて、「目薬を1個、使い切る」という快挙を達成したのである。

 ちなみに、そのペースで目薬を差し続けた結果、夜中に仕事の途中でベランダから見える女木島の灯台の光が、今までタテに2つ見えていたのが1つに見えるようになりました。やっぱり大谷翔平はすごいですー。

…という話だが、オープニングのエピソードに比べてちょっとオチが弱いか。