「令和の阪神」へ、パラダイムの転換を感じた件。

 今年のマジックが出てからの阪神は、「いかなる場面でも最悪のことを考える」という習慣が叩き込まれている昭和からの筋金入りの阪神ファンの私が「このまま優勝しそう」と思ってしまったくらい何かが違っていたと感じるような、そんな「令和の阪神タイガース」の幕開けを予感させる今シーズンのペナント制覇であった。

 私の中に染みついている阪神タイガースのイメージは、主に過去の3つの事件というか事象によって醸成されてきた。

 古い話で恐縮だが、まず1つ目は私が高校3年の時、1973年(昭和48年)のペナントレースの最後の2戦である。私が阪神ファンになったのは中学1年か2年の頃、当時ようやくテレビが各家庭に普及し始めて、しかし地方のテレビのプロ野球中継はほとんど巨人戦しかやってなかったので周りのみんながほぼ巨人ファンだったのを見て、当時から“天の邪鬼”だった私はセリーグの2番手だった阪神を応援しようと決めたという、少々ひねくれた動機からだった。

 それが、73年についに「残り2戦のどちらかで引き分け以上で優勝」という千載一遇のチャンスを迎えた。最終戦の一つ前が中日戦で、最終戦が首位の巨人戦。阪神のローテーションは上田二郎と江夏が残ってて、上田は中日に滅法強く、江夏は巨人に滅法強い。だから素人ファンでも「中日戦に上田が先発しておそらく勝てる。万が一負けても、最終戦で江夏が巨人を抑えてくれる」と思っていたのである。そしたら、何と中日戦に江夏が出てきて負けて、「勝った方が優勝」という最終巨人戦に上田が出てきて0ー9で完敗した。

 まず最初の中日戦は、中日先発の星野が「巨人には勝たせたくない」と言って「打ってください」と言わんばかりの真ん中のストレートばっかり投げたのに阪神の選手が金縛りに遭って凡打を繰り返したという、真偽不明(笑)の話が伝わる試合である。そして最終の巨人戦は、巨人に負けて優勝を逃した後、たぶん「何でや!」と思った多くの阪神ファンが甲子園で暴動騒ぎを起こした試合である。

 ところが後日、阪神ファンの間で「監督は中日戦に上田、巨人戦に江夏を出す予定で、中日戦のスターティングメンバーに『上田』と書いていたのに、メンバー交換の直前にフロントからエライ人がやってきて『江夏』と書き換えた」という話が広がり始めた。曰く、当時の阪神のフロントは「優勝争いをしながら2位になる」というのが至上の目標で、その理由は「優勝争いをすると観客がいっぱい入って儲かるが、優勝してしまうと選手の年俸を上げないといけない。でも優勝争いをしながら優勝を逃すと、入場料収入は上がるし年俸は上げなくて済むから一石二鳥!」という、いかにも大阪商人らしい話である。もちろん真偽は全く不明であるが、実によくできた話なので(笑)、私の中では「阪神はそういう体質なんや」というイメージが(笑)付きで刷り込まれて、今日に至っていたのである。

 2つ目は85年、あのムッシュ吉田監督が「全員一丸野球」を掲げて、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があり、中埜球団社長が日航機墜落事故で亡くなり、それを受けてまさに「全員一丸」になって歓喜の優勝をした後、今度は「フレッシュ・ファイト・フォアザチーム」というスローガンを掲げたら阪神の選手が英語について行けなくて(というのは阪神ファンのネタであるが・笑)、翌年の3位から続く15年間で10回も最下位に沈むという暗黒の時代。あの15年で、私の中に「阪神の自虐ネタ」がガッツリと染み込んだ(笑)。例えば、当時の阪神ファンには「俺が○○をしたら阪神が負ける」とか「○○アナウンサーが甲子園で実況したら阪神が負ける」とか「○○が××したら阪神が負ける」とか、阪神が負けるジンクスがそこいら中に氾濫していたが、要するに「しょっちゅう負けていたからどんなジンクスにもそれなりに当てはまってしまう」ということであった。また当時、ノストラダムスが「1999年の7の月に恐怖の大王が降ってきて世界が滅びる」みたいな予言をしていたと話題になったが、「世界は滅びなかったけど、阪神にだけ恐怖の大王が下りてきて98年から01年まで4年連続最下位になった」というオチもついていた。

 そして3つ目は、06年と08年。「7月頃に2位を12ゲーム以上離してトップを走っていたのに、大逆転を食らって優勝を逃す」という事件が3年に2回もあったというトラウマである。

 ところが今季の優勝は、

①優勝を阻む「球団の体質」が全く表面化しなかった。というか、そんなものがなくなったのかもしれない。
②暗黒時代の精神状態の気配すら出てこなかった。
③石井の負傷後の7連敗で「ぶっちぎりからの大逆転」の気配がちょっと出てきたが、その後、全く出てこなかった。

という、昭和~平成の阪神の「あまりよくないけど自虐ネタとしては十分笑える」というイメージがことごとく消えてしまった…という印象を私は受けたのである。

 そして、藤川監督の優勝インタビューも、解説時代のイメージのまま、ポイントを押さえながら、整然と、歯切れよく、昭和~平成の阪神の監督のイメージから抜け出たような話しっぷりであった。さらに、「これでクライマックスシリーズで負けたら気持ちをどうもっていけばいいのだ」という昭和~平成の阪神ファンの心配に対して、「我々がリーグチャンピオンです。この後のファイナルステージ、クライマックスは別のステージになります。リーグチャンピオンは絶対に消えない。この誇りを胸に、また別のゲームを戦っていきます」という見事な“気持ちの整理の仕方”を提示してくれた。それを聞いてさらに「これは令和の阪神だ」という、大げさに言えば「阪神の新時代へのパラダイムの転換」をしみじみと感じたのである。

 と同時に、「これから昭和の阪神ファンのメンタリティを一掃するとなると、来年からどういう心持ちで阪神を応援するかなあ」と思っていたら、最後にインタビュアーから「タイガースファンの皆さんに最後に優勝報告を一言」と言われた藤川が、「えー、3月にはドジャースとカブスも倒しましたので(笑)」と言って、球場から大爆笑が起こった。よし。あの一言で藤川が「昭和以来の阪神の本質感」をまとっていることが確認できた(笑)。球場内も、それまでの藤川のコメントに歓声を上げながら、あそこで一番大きい歓声を上げたということは、「阪神はこれだ!」というメンタリティを強く持っていたに違いない。既報の通り、私の中で「阪神の本質感」に満ちあふれた監督は岡田、吉田、村山の3人であるが、そういうわけで何となく、藤川が新しい価値観の4人目になる気配がしてきたのであった。

 優勝インタビューの後、ユーチューブで2年前の岡田の優勝インタビューを2回も見て、いろんな思いに浸っていました。85年の優勝時に「大腸菌も死ぬ」と言われた道頓堀に飛び込むファンが続出したが、近年の“飛び込み野郎”はあの時とはたぶん違う、「令和の阪神ファン」なんだろうなあ…などと思いながら。いやー、大人の阪神ファン…じゃなくて「おじいちゃんの阪神ファン」になってきました(笑)。