「うわ、禽獣が来た」(笑)

 そういうわけでこないだ、『オセラ』の“荒行”を終えて、編集者の方(女性)の運転でH谷川君を家の近くまで送って、そこから私を高松に送ってくれる道中で、

編集「田尾さんとH谷川さんは名コンビですねえ」
田尾「そうですか?」
編集「道中もそうだし、どの店に行ってもお話のネタが尽きないし、田尾さんが投げた球をH谷川さんが全部拾ってくれるし(笑)」
田尾「まあ付き合い長いから、“以心伝心”の境地に達してますから(笑)。あと1人、私が投げてない玉まで拾って突っ込んでくるやつもいるんですけど」。

…などと話していたのである。そしたら、宇多津から坂出に入るあたりで後方から2人乗りのカブみたいなバイクが2台、バインバインバイン! ババババババババ! バインバイン! ババババババ! バインバイン! いうて爆音を垂れ流しながらやってきて、我々の車の右横をバインバイン! ババババババ! バインバイン! いうて併走し始めた。それに編集者がちょっとビビった風を見せたので、私は例の「禽獣(きんじゅう)」の話をした。

田尾「ああいうのはね、僕は“禽獣”だと思うことにしてるんです(笑)。『教(おしえ)なければ禽獣に近し』って孟子か誰かが言うたらしいんですけど、ああいう連中は社会生活のマナーみたいなものの教えを受けていないやつだから禽獣だと思って対応したら、何かこっちの気持ちが整理されて穏やかになるんですよ」
編集「あ、なるほど。あれを人間だと思うからイラッとするんですね(笑)」
田尾「そうそう。例えば後ろからイノシシがバフバフ言いながら突進してきたら、とりあえず避けてやり過ごすか、『うわー、イノシシや』言うて眺めるかしますやん。少なくとも、イノシシにイラついて逆に追いかけたり、罵声を浴びせたりは、私はしない(笑)」
編集「確かにそうですね」
田尾「これの大事な目的は、禽獣を非難したり罵倒したり、あるいは諭そうとしたりするのではなくて、自分の気持ちを穏やかにすることにある、ということです」
編集「あ、そう思ったらちょっと穏やかになってきました(笑)」

*****

 などという会話を思い出したのは、今朝、また“禽獣”に出くわしたからである(笑)。高松から善通寺の大学に行くために高松西インターの料金ゲートをくぐって高速道路の本線に合流しようとしたら、追い越し車線の後方からかなりのスピードで近づいてくる車が見えたので、「うわ、禽獣が来よる」と思った私は走行車線に入った。こっちは時速80キロぐらいで流れていたので、まあ安全に合流できた…と思った瞬間、私の後ろから同じ西インターを上がってきた車が、走行車線ではなくて、いきなり噴かして追い越し車線に入ったのである。

田尾「うわ、あいつ、禽獣の前に入って行った」

…と思ったら案の定、そいつは「噴かして入った」と言っても入った時点ではせいぜい90キロ台だから、あっという間に後方からおそらく120キロ以上で突進している“禽獣”に追いつかれて、まるで2両編成かと思うような距離に詰められてブオンブオン! とあおられよる。

 まあ、人間同士だと思ったらあれは制限速度オーバーの上にあおり運転みたいな詰め方をする方が悪いのだが、「禽獣思考(笑)」からすると、「禽獣が見えたら、その前に入ったらやられるぞ」ということである。その禽獣がライオンやイノシシだったら、一旦詰められてもそのうち距離を取ってくれるかもしれないが、もしそれが『ロード・オブ・ザ・リング』の「オーク」だったらあーた、やられるよ(笑)。

 みたいな私の「禽獣思考」である。私は結構な頻度で西インターから善通寺インターを走るのだが、わずか15分の高速走行のうち、3回に2回ぐらいのペースで“禽獣”を見かける。そして、見かけるたびに禽獣を嘆いたり禽獣に怒ったりするのではなく、「禽獣が来た」と思いながら、自分の心の平穏を保つ訓練を積んでいるのである(笑)。ちなみに、このご時世、読み込み能力に欠ける人たちが反射神経だけで言説を垂れ流す風潮がとても強いので念のために書いておくが、「みんなもそうすべきだ」と言っているのでもなければ、「どっちがいい、悪い」と言っているのでもない。「私はそうしている」と言っているのである。