昨日、午前中から授業を2本終えて残務を終えた午後2時頃、高松に向かう前にガソリンが少なくなっていたので善通寺のガソリンスタンドで満タンにして、ついでに車がまあまあ汚れていたのでスタンドに併設されているセルフ洗車機で今年の初洗車をして、拭き上げスペースに車を停めて窓をきれいに拭いて、ボディーも拭いて、アルミホイールも丁寧に拭き上げようと1つ目のタイヤに取りかかった瞬間、晴天にわかにかき曇り、雨が降ってきたやないの!
善通寺上空にさっきはなかった黒い雲が突然現れて、しかし西の方の空は明るく、東の方もそれなりに明るく、「善通寺の上にだけ雨雲がいる」という理不尽なことになっているではないか。そこから雨足は弱まることなく、車はあっという間に雨まみれになって、「何ちゅう初洗車じゃ」と思いながら雨の中をガソリンスタンドを出て善通寺インターに差しかかった途端、雨が上がった。しかも、高速に乗ったら晴れ間まで出てくるという、まさに目の覚めるような新年を迎えたので、「去年の団長ニュースなどにうつつを抜かしている場合ではない」ということで一気に仕舞いをしておく。
【14位】演劇公演のアフタートークに出る
四国学院の社会学部には演劇コースがあって、プロの演出家の人たちが履修学生を指導しながら学内の100~150人ぐらい収容できるスタジオで演劇作品を披露したりしているのだが、ある日、その演劇の阪本先生から「田尾先生、アフタートークに出てよ~」とかいうアバウトな依頼が来たのである。
聞くと、年に何度か行う演劇公演の後、演出家や演劇の先生たちが観客を前に作品評や四方山話でトークをしているそうで、「次の公演の後のトークに出てくれないか」とのこと。私が「演劇ネタなんか持ってないですよ」と言うと、どうも今度の公演はコンテンポラリーダンスに舞踏をミックスしたみたいな作品らしく、どこから聞きつけてきたのか「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいって聞いたんで大丈夫ですよ。『インタレスト』のニーマちゃん(坂東)も出ますから見てやってください」と押してくる。「けど僕、しゃべり出したら脱線しますよ」と粘っても「全然オッケー。いつもそんなに真剣な話ばっかりやってないから(笑)」と言われて、ついに屈してしまったのである。
そういうわけで当日、学内のスタジオで1時間半ぐらいの公演を見た後、一般客が数十人入った客席を前に、30代か40代の若い演出家の方と阪本先生と同じ学部の福永先生と私の4人のアフタートークが始まった。最初は演出家の方と阪本先生が真面目で高尚な演劇論を交わしていたので「どうなることか」と心配していたら、阪本先生が「田尾先生は『暗黒舞踏』に詳しいんですよね」と振ってきた。しかし、詳しいといっても私は昭和の暗黒舞踏、具体的には「大駱駝艦」と「白虎社」と「山海塾」ぐらいしか知らないので、昔話をするしかない。しかし、「おっさんの昔話」は若い世代には一番嫌われるヤツだから、あまり語りたくない。でも何か語らないといけない。私はとっさに、この日の公演の振り付けの中にあの頃の暗黒舞踏の体の動きが時々微妙に出ていたのを思い出して、そこを突破口に無理やり話を切り出した。
(田尾)昔、「白虎社」が解散した後、「白虎社」で活躍していた人が何人かコンテンポラリーダンスに行ったんですよ。S東さんとか。
(阪本)えっ! 田尾先生、S東さん知ってるんですか!
(田尾)昔、県の芸術フェスティバルで「白虎社」を呼んだ時に、向こうの窓口がS東さんでこっちの担当が僕でした。
(阪本)S東さんは今、コンテンポラリーダンスの重鎮ですよ。
(田尾)ほんまですか! ちなみにですね、僕、S東さんとか「白虎社」の親分だった大須賀さんとか「大駱駝艦」の麿赤児さんから同じような話を聞いたことがあるんです。「暗黒舞踏の体の動きは日本人の文明以前の古代の姿勢とか動きがベースで、具体的にはまず、体の全ての関節を曲げるんです」って、例えばこう…
と言って、腕を体の前で交差して肘と手首と指を全部曲げて、数十年前に麿赤児さんから教わった『怪談・海印の馬』の「安産祈願」というシーンに出てくるポーズ(誰も知らんか)をやりかけたら、演出家の方が立ち上がって、ピシッとポーズを決めて言った。
(演出)こういうやつですか。
(田尾)あー! それそれ!
(演出)あと、こういうのとか。
(田尾)あー! それは「白虎社」の『ひばりと寝ジャカ』の、オープニングシーンのサビのところで出てくるポーズ!(知らんがな)
「いや、やっぱり何か、暗黒舞踏からコンテンポラリーダンスに受け継がれてるものがあるんだ」と思いながら、ひとしきり盛り上がって、しかし私にはもうネタがないので、私はそこからしばらくおとなしく皆さんのトーク回しの聞き役に回っていたのである。
すると、何かの話題から演出家の方が昔のロシアの天才ダンサーの名前を何人か口にした時、「ニジンスキー」という名前が出た。「ニジンスキー」は20世紀初頭のロシアのバレエダンサーの名前であるが、もちろん、それを聞き逃す私ではない(笑)。
(田尾)ニジンスキーと言えば。
(阪本)え?! 田尾先生、暗黒舞踏以外にも食いつくんですか?
(田尾)いや、昔、「ノーザンダンサー」いう馬がいましてですね、日本語に直訳したら「北の舞踏家」なんですけど、その子供にロシアのバレエダンサーの名前を取った「ニジンスキー」いう素晴らしい馬がいるんです。「北の舞踏家」の子供に「ロシアのバレエダンサー」の名前を付けるという、いいでしょ? 競馬って(笑)。
(阪本)何かおしゃれ。
(田尾)さらにノーザンダンサーの子供は他にも、ロシアのバレエダンサーの名前を取った「ヌレイエフ」という馬がいて、さらにフランスのバレエダンサーの名前から取った「リファール」もいて、さらにロンドンのバレエ劇場の名前から取った「サドラーズウェルズ」いう馬もいて…
(演出)………
(田尾)そんな時に、日本の社台グループの吉田さんがノーザンダンサーの子供の「ノーザンテースト」を種牡馬として輸入したんです。そしたらあーた、ノーザンテーストの子供が勝つわ勝つわ! ダイナガリバーが日本ダービーに勝って、アンバーシャダイが有馬記念と天皇賞に勝って、ギャロップダイナが天皇賞と安田記念に勝って、牝馬もシャダイアイバーとダイナカールとアドラーブルがオークスに勝って…もう日本の競馬界にノーザンテースト旋風が吹き荒れて大変なことに…
(阪本)あの田尾先生、競馬の話はもういいです(笑)。
しゃべりながらチラチラと客席の反応を見てたら結構笑いが来てたのでちょっとだけ突っ走ってみたが、そやから言うたやないの、「脱線する」って(笑)。というわけで、うかつに私を呼んだらそういうことになるという、自戒も込めて、畑違いのところに突っ込んで行った自分を考え直す意味で14位に置いてみた。というか、何が「一気に仕舞いをしておく」だ、と自分で突っ込んで、今日はこれぐらいにしておく。
